ニセ天皇、米国を騒がす! 「LIFE」「ニューズウィーク」登場で、皇室は大ピンチ!【日本のアウト皇室史】
――戦後、日本の政治形態はガラッと変わってしまいましたね。
堀江 ここでついに、熊沢寛道が歴史の表舞台に現れる時がやってきました。熊沢寛道はなんと駐日アメリカ軍のトップである、ダグラス・マッカーサーに手紙を書いて、日本を敗北させた北朝である現皇室に代わり、熊沢家による南朝の再興を請願しているのです! そして自分はその南朝の天皇にふさわしい、と。彼は「天皇の戦争責任」を追及することにしたようですね。残念ながら、あるいは当然ながら、マッカーサーおよびGHQは熊沢寛道の熱意を無視し続けました。
ところがGHQの誰かが、来日中のアメリカの有名写真雑誌「LIFE」の記者の誰かにポロッと「天皇を自称するヤツがいるんだよ~」的な情報を漏らしてしまったようです。来日中のアメリカ人記者たちは熊沢寛道の雑貨屋を訪問、写真撮影とインタビューを試みたのでした。彼にとっては「報われた」と感じた瞬間だったことでしょう。
「LIFE」には2ページの写真入りのインタビュー記事が載りました。ほかにも「ニューズウィーク」(1946年11月4日号)には「皇位要求者」との見出しで、熊沢天皇の記事が載りました。いずれも英文です。
面白いことにその直後、熊沢の主張を無視し続けてきたGHQの態度が激変したのでした。熊沢のもとには、「本当にあなたは南朝の正統後継者なのか?」というGHQの使者が来訪しています。GHQは天皇の地位と伝統を戦後日本でどう扱ったらいいのかを、悩んでいました。下手すれば天皇制はなくなっていたかもしれない、皇室にとっては危機の時期ですね。GHQの中では、天皇家の交代という可能性もあった……ということですね。
熊沢天皇のチャンスは、皇室のピンチです。皇室はどうやってこの未曾有の危機を乗り越えたのでしょうか。次回につづきます。