ニセ天皇、米国を騒がす! 「LIFE」「ニューズウィーク」登場で、皇室は大ピンチ!【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「天皇」のエピソードを教えてもらいます!
――前回に引き続き今回も、稀代の“ニセ”天皇、熊沢寛道についてお話をうかがいます。ニセ北朝の子孫である明治天皇が、天皇家の正統は北朝ではなく南朝だと宣言してしまった明治末期。南朝の正統後継者を(家系図はちょっと怪しいけれど)自称する熊沢一族は、このチャンスをモノにすることができたのでしょうか?
堀江宏樹(以下、堀江) それについては、のちの熊沢天皇こと熊沢寛道が自身の「回顧録」で、面白いことを書いています。
前回も触れましたが、明治末期、要約すれば「南朝の子孫であるわれわれを特別扱いしてください」という請願を政府に行った熊沢大然(くまざわ・ひろしか)には、「貴家(=熊沢家)を南朝の正統と、帝国古跡調査会と明治天皇ご本人が認めた」などと内大臣・徳大寺実則(とくだいじ・さねつね)からの伝言が、届けられたというのです。それも、内大臣府に勤める書記官・宮本基氏なる人物から届けられたとまで具体的に書かれています。……ただ、これ、熊沢寛道ひとりしか言っていないことなのですね(笑)。つまりアリバイというか確証が取れないのです。
――つまり、ウソということですか……?
堀江 はい。ウソだと思います。ちなみに内大臣が熊沢家の正統性を当時の宮中関係者が確信した理由の中には、熊沢家に代々伝わる、”南朝の御神宝”の存在があったというのです
――なんですかそれ?
堀江 「回顧録」では”御神宝”と呼ばれているのですが、熊沢寛道の主張によれば、ある寺に預け、そこで大事に守り伝えていたものなのだそうです。しかし寛道の祖父の代に、ある人物の謀略によって盗まれ、水戸の竹内家に保管されることになってしまった、というのです。
この水戸の竹内家、オカルト好きな方々には有名なファミリーですね。「キリストの遺書」とか色々お持ちだったとされています。キリストの遺書は、第二次世界大戦の空襲で燃えてしまって、今は写ししかなくなっていたのですけども。
――ものすごく怪しい話になってきましたね(笑)。
堀江 ウソがウソを呼ぶ例ですね。しかし熊沢寛道によれば、熊沢家の待遇問題……つまり、皇族になるとか、場合によっては天皇位を譲られるとか、そういう話が宮中で検討され始めたそうですよ。しかしその矢先、明治天皇が崩御なさったので、話がウヤムヤになってしまったというのです。あくまで熊沢寛道の主張ですけどね。まぁ、実際のところは徳大寺侍従長がすべてを見抜き、彼のところで熊沢家からの請願書はストップしたのではないかと僕は考えます。
ちなみに、熊沢大然はそれでも凝りず、大正元年(1912年)にも請願書をもう一度出しています。その時も、はかばかしい成果はありませんでしたが、大正4年(1915年)、熊沢大然は突然倒れ、帰らぬ人となってしまったのでした。大然の意志を引き継いだのが「熊沢天皇」こと熊沢寛道だったのです。
――ついに熊沢寛道が、熊沢家の代表として国と渡り合うときが来たのですね……。
堀江 いやいや、そうなるにはまだ時間があります(笑)。熊沢一族を取り巻く環境は急速に悪化していました。まず華族までを巻き込んだ請願書提出運動などによって、資金繰りが悪化したのでしょう。さらには、当局から危険人物として監視されはじめてしまったということもありました。
ちなみに熊沢寛道が、熊沢大然の養子になったのは明治41年(1908年)のこと。同時期に、しかも何度も請願書を送りつけてきたのは熊沢一族の中で、熊沢大然だけではありませんでした。
たとえば熊沢大然の実弟・与十三郎(彼は熊沢一族内で分家、その当主となっていた)も、大正14年(1925年)に内大臣府宛てに「天皇家と同じ菊の御紋を使いたいのだが、許可してくれませんか」というような手紙を送りつけ、それに内大臣府が「当府(=内大臣府)に於て回答すべき限に非ざる」という文面の手紙で回答したことがありました。
冷静に読んで、「ウチが答えるべき問題ではない(=出直せ)」ということで、否定しか感じられない文面ですが、「NOとは言われていないので、可能性はあるんだ!!」と熊沢家の面々は喜び、これは内々の許可では? お墨付きを得たのでは? と受け取ってさえいたようです。
――女子から曖昧な断られ方をしても、気づけない男子みたいな……。しかし、こういうストーキングみたいな迫り方をされても、お役人は困りますよね。
堀江 まぁ、いろいろあって、熊沢寛道自身は第二次世界大戦後まで、具体的な行動を起こすことはありませんでした。要するに時代が悪いし、資金もなかったのでしょう。そして、敗戦を迎えます。