[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

光州事件の被害者・加害者の双方の苦しみを救った、韓国映画『26年』の“ファンタジー”性

2020/05/29 19:00
崔盛旭

『26年』トラウマを抱えた「加害者」たち

 ただしトラウマは、事件の被害者だけに現れるのではない。本作でのキム社長のように、命令に従うしかなかった戒厳軍兵士の中にも、罪悪感というトラウマに苦しんだ人は多い。彼らは犠牲者に謝罪したり、光州の記念公園を訪れたりすることで自らの罪を癒やそうとしてきたが、一方で本作の登場人物で、全のSPであるマ室長(チョ・ドクジェ)のように、軍人としての人生そのものを否定される恐怖から、全を生き延びさせ、罪悪感を抑圧したまま生きている者もいる。いずれにせよ光州事件は、加害者vs.被害者という単純な二項対立からはわからない、幾重にも深いトラウマを生んだ歴史的出来事だったのである。

 一方、フロイトが提示したファンタジーの効能は、韓国において伝統的とされる情緒「한(ハン、恨みやトラウマの意)」とも共通するものがある。そして「ハン」を晴らすための儀式を「한풀이(ハンプリ)」というが、この「ハンプリ」が言うならば「ファンタジーを繰り広げる装置」になるのだ。

 たとえば、つい先日、市民が作った全の像をトラックの荷台に乗せ、全の自宅近くをぐるぐると回るデモが行われた。韓国メディアは「ドライブスルー・デモ」と報じたが、これもまた、一向に謝罪する姿勢を見せない全をファンタジーの世界に召喚し、「ハン=トラウマ」を晴らそうとした「ハンプリ」の儀式だったといえよう。

 話を映画に戻そう。実は本作は、完成までに紆余曲折を経ている。製作にあたり、当初は大手通信会社の支援が予定されていたものの途中で手を引いてしまい、急きょクラウドファンディングで資金を集めたのだ。また監督2人が続けて降板し、結局美術監督だったチョ・グニョンが監督を任されるという混乱ぶりだった。その背景には、当時の李明博(イ・ミョンバク)率いる保守派政権の介入があったともウワサされている。それでも公開時はちょうど、朴槿恵(パク・クネ)と文在寅(ムン・ジェイン)による大統領選が盛り上がりを見せており、進歩派の文は僅差で破れるものの、映画は観客動員約300万人というヒットとなった。

 残念ながら日本では劇場公開もDVD発売もされていないが、動画配信サイト「Netflix」では見ることができる。エンドロールに連なる膨大な数の名前は、クラウドファンディングに協力した人たちだ。決して知名度は高くないが、多くの国民の怒りと応援によって支えられた作品であり、もっと多くの人に見られてしかるべき映画だと思う。


事件を「心で理解した」、当事者とのエピソード

 最後に、私自身にとっての光州との邂逅を紹介して終わりたいと思う。事件当時小学5年生だった私には、正直何の実感もなかったのだが、その後、通っていたソウルの小学校に光州からの転校生がやってきた。彼との記憶はただひとつだけ。事件のとき、彼は「すごくキュウリが食べたかった」のだそうだ。話の文脈も、彼の意図するところも今となっては思い出せないが、私の脳裏にはそれ以来、暑い5月の光州で、惨劇の最中、食べ物も飲み物もろくに与えられなかった子どもが、のどの渇きと空腹を同時に満たすために、キュウリを欲する姿が焼き付いて離れない。

 「光州事件は頭だけでなく、心で理解しなければならない」とよく言われる。光州事件という「歴史」だけでなく、それが人々にもたらしたさまざまな「記憶」、その双方から事件を語り継いでいかなければならない。

崔盛旭(チェ・ソンウク)

1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2022/11/14 18:19
光州の五月
ハンとハンプリから韓国を見てみたいな