天皇が女官にストーカー行為!? ご執心ぶりに皇后様も“憤怒の形相”【日本のアウト皇室史】
――天皇に言い寄られることで、天皇との関係がこじれてしまった女官・山川三千子。こんな状態では、女官としては勤めにくくなったのでは?
堀江 たしかに、山川三千子はこの頃、「あの生意気な娘(=山川)は、私は大嫌いだ」と皇后様が言ったという報告を、同僚の女官から受けています。しかし、それだからといって、明治天皇の時のような女官同士の争いみたいなことはなかったようですね。わりと同情票のほうが多かったのかも。やはり、大正天皇はちょっと面倒くさい方だという共通認識が女官同士にはあったのでしょうか(笑)。
こうして、相変わらず大正天皇にグイグイ迫られながらも、山川三千子は昭憲皇太后のお傍で女官を続けています。しかし、もうすぐ25歳だし、誰かと結婚したほうがいいのかなぁ、でも明治天皇を喪った昭憲皇太后さまの寂しそうなお姿を拝見していると、自分だけ幸せになっていいものかなぁ……などと悩みのつきない日々でもありました。
この時、ウラで大正天皇は、山川三千子についていろいろと調べていたようなのですね。そして山川三千子にとっては大先輩にあたり、「世話親」と呼ばれる、いわば宮中での親代わりの女官を動かして、彼女との距離を縮めようとしてくるのです。
――ストーキングじゃないですか、それって。
堀江 まぁ、今ならそういうことでしょうかね(笑)。山川三千子の世話親は、大正天皇の生母である柳原愛子です。一時期は明治天皇の権典侍(ごんのてんじ)で、いわゆる側室でした。
しかし、柳原愛子は大正天皇となる皇子を出産した後は側室を辞退し、典侍(編註:宮中の女官の最高位)の職に復帰していたのです。大正天皇は実母の柳原愛子が山川三千子の「世話親」でもあることに気づき、柳原に手伝ってくれと訴え、山川三千子への自分の恋心を成就させようとしていた形跡があります。
大正天皇は柳原愛子を説得、昭憲皇太后に仕える山川三千子を自分のそばに異動させようと考えたようです。その結果、山川三千子は柳原愛子から、大意でいうと「あなたはまだ若いんだから大正天皇のところに行ったほうが出世にもなるし、結婚のとき、女官としての職歴はアピールポイントになるからいいわよ」的に、大正天皇直属の女官になることを何度か勧められもしました。
しかし、彼女はそれを断りました。「こちらさま(=昭憲皇太后)のところで私がご不要な女官であれば、実家に帰させていただきます」と言うわけですが、それは「大正天皇のお傍で働かねばならないくらいなら、私は辞めます」という意味なんですね。
やさしく親しみやすいお人柄で、女官からの人気が高かった柳原愛子もこのときばかりは、ムッとしたらしく、冷たく「そうですか」と言ったそうな(笑)。