大正天皇は“変わり者”か? それとも“お茶目”か? 女官たちが語る「遠眼鏡事件」【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!
大正天皇の不思議な趣味
――前回は、新米女官の山川三千子が、いきなり大正天皇からお声がけという名のナンパをされ、誰もいない廊下でジリジリと距離を詰められたという絶体絶命な場面まで話していただきました。その後結局、2人はどうなったのですか?
堀江宏樹(以下、堀江) 身の危険を感じた山川三千子は、とっさの判断で鍵のかかる小部屋に逃げ込み、そこにちょうど通りかかる人もいたため、事なきを得たそうです。ちょっと尻すぼみな展開で、がっかりしちゃいましたかね(笑)。
ここで問題に思えるのは、この天皇の行動を“フレンドリー”と捉えるか、もしくは“ガッツキすぎている”と感じるか……。それは男性として大正天皇を見た時、彼を魅力的だと自分が感じられるかどうかで変わることですね。
そもそも、山川が大正天皇からジリジリと近づいてこられたのは、彼女自身の写真を持っていないかと大正天皇に尋ねられ、それに対して山川が「一枚も持ちあわせておりません」と断ったりしたから。大正天皇としては、「まさかそういうわけでもないだろう、お前は嘘をついているのではないか」などと、真相を追求したくなったからでしょう。それが追い詰めるという行動に出てしまい、山川は大正天皇のことが怖くなってしまった、と。
――しかし、初対面でいきなり写真を求められても……というのはあるかもしれません。
堀江 写真問題についてですが、たしかに大正天皇のご趣味のひとつが、関係者の写真のコレクションだったことは事実です。
コレクションには女官たちの写真もありましたが、外国人男性である公使などにも同じように初対面で「写真をくれ」と、カジュアルに頼むのが常でした。だから、特に山川三千子だけが異様な申し出を受けていたというわけでもないんです。
たとえば別の女官で椿の局と呼ばれていた坂東登女子によると、「お上はとってもお茶目さん」であり、そのお茶目さを示すエピソードとして、外国人の公使がくると大正天皇が、「煙草やる、煙草のむか」といって煙草を差し出し、「そいでもう『写真をくれ』っと仰せんなるの、じきにね。『写真、以後、くれね』っておっしゃる」(坂東登女子の談話集『椿の局の記』)というものが紹介されています。
なお、このセリフの部分、原文のままで引用しましたので若干、読みづらいかもしれません。
――なんだか独特な言葉遣いの会話ですね。
堀江 大正時代に女官として宮中に勤めていた坂東登女子(ばんどうとめこ)いわく、このトツトツとした感じこそ、いわば男性版の御所言葉だったそうです(『椿の局の記』)。
また、大正天皇の話し方と昭和天皇は似ていた、とも言われています。第二次世界大戦が終戦を迎えるにあたり、昭和天皇が「玉音放送」のためにスピーチを録音させましたが、その時の天皇の話し方が独特だといって庶民は驚いたものです。しかし、宮中で、高貴な男性はああいう話し方をするほうが、むしろ普通だったと坂東登女子は言うのです。高貴な人があまり滑らかにペラペラしゃべると、品がない話し方になると思われていたのかもしれませんね。
さて、お話を戻します。宮中の女官たちの一般的な見解としては、明治天皇とは異なり、大正天皇は非常にフレンドリーな方で、女官たちに気軽に話しかけたり、写真をもらったりしていたようです。お茶目さんとして、宮中では通っていたくらい。だからこそ、山川三千子の拒絶は大正天皇にとってはショックだったのかもしれませんね。それこそ「なんでダメなの!?」って、彼女につめ寄ってしまうほど。