『私のおっぱい戦争』リリ・ソン氏に聞いた、フランス人も悩む「完璧な母親像」「女性らしさ」とフェミニズム
──最近、お子さんが生まれたと聞きました。日本では、母親の家事・育児が一種の愛情表現だとする風潮があり、頑張りすぎてしまう女性が多いです。フランスでそのような考え方はあるのでしょうか?
リリ フランスでも「母親は完璧であるべきだ」という考え方は、まだまだ根強いですね。多くの母親が、自分は完璧ではないと思い、罪悪感に苦しんでいて、私もそうした母親の一人です。私は「完璧な母親像」に抵抗しようとしていますが、そんな私でも悩んでしまうものなのです。
我が家では、子どもの教育を夫と“平等”に分担しようとしていますが、それでも私自身「母親は完璧でなくてはいけない」という、よくある考えにとらわれ、悩んでしまうことがありますね。日々、完璧な女性像や母親像と、フェミニストであることの間で自分自身が引き裂かれています。でも、一方でそれによって闘う気持ちが強くなっていることも確かです。
──家事の分担や子育てについてお聞きします。リリさんの周りの状況はいかがですか? また、リリさんのご家庭では、どのような工夫をされていますか?
リリ 10年のフランス国立統計経済研究所の研究によれば、フランスの女性は1週間に25時間を家事と育児に費やしています。一方、男性はたった16時間。1年間に換算すると、女性はフルタイムで3カ月働いたのと同じ時間を家事に費やしていることになるんです。ですが、この傾向はだんだんと変わってきていて、少し前に女性の間で「家事の精神的負担」が大きな話題となりました。女性は仕事をしているときも、余暇を楽しんでいる間も、どんなことをしていても、常に家事の段取りを考えていなくてはなりません。このことを「家事の精神的負担」(※1)と言います。
そもそも、母親と父親に対するジェンダーのステレオタイプに問題がありますよね。例えば、母親は本能的に子どもの世話をすることを知っていて、父親よりもうまくできる、だとか。こうしたステレオタイプもとても根強いものです。でもいま、フェミニストたちはこれを変えていきたいと思っていますし、多くのパパたちも同じように考えているのではないでしょうか。
※1 家事の精神的負担 具体的にはオフィスで仕事をしながら、夕飯の買い物の段取り、子どものお迎えについて同時に考えなくてはならないという状態が、精神的負担やストレスにつながるといったことを意味する。