ベテラン万引きGメンが尊敬してやまない大先輩、「催事のスペシャリスト・敬子」の思い出
開場と同時に売場に入ると、場内は数分もかからないうちに大勢の客であふれ、思うように身動きが取れないほどの状況になりました。要領を得られず、右往左往しながら巡回を続けていると、いつのまにか私の隣にいた敬子さんが言います。
「澄江ちゃん、あそこにいる赤いショルダーバッグの女、わかる?」
「え? あ、はい」
「たぶんやるから、よく見ていてね」
「うそ!?」
敬子さんが言う赤いショルダーバッグの女は、一見して30代前半にみえる派手な女性で、その服装や雰囲気から察するに水商売の方に見えます。遠目から様子を窺うと、高級ブランドの皮財布を選んでいるようで、値札を確認しては戻すという行為を繰り返していました。
(本当に、やるのかしら? お金は持っていそうだし、私には商品を選んでいるようにしか見えないけど……)
しっかりと手元を確認するべく、比較的近い場所まで移動して、彼女の行動を見守ります。するとまもなく、3つの高級皮財布を手にした彼女が、特設された精算会場の方に向かって歩いて行きました。
(やっぱり、買うみたいね)
レジの行列に並び始めた彼女の姿を見送り、売場に戻るべく踵を返すと、またしてもいつのまにか隣にいた敬子さんが言います。
「どこ行くの? もうすぐよ。ほら、見て!」
「ええっつ!?」
すぐに振り返ると、前にいる人の陰に隠れながら、手にある全ての財布を赤いショルダーバッグの中に隠す彼女の姿がありました。この時に見た悪意あふれる魔女のような目は、いまも脳裏に焼き付いています。
「もう出るわね。いい機会だから声かけしてみなさい。きっと変な言い訳するわよ」
すると、敬子さんの声に反応したように動き出した彼女は、しきりと後方を気にしながら出口に向かうエスカレーターに乗り込み、ホテルの正面玄関から出ていきました。商品に手をつける前から彼女の犯意を察知し、その行動を読み切ってみせた敬子さんの職人技に驚愕しながら、異常なまでの早足で前を行く彼女の後を追います。