皇室の“知られざる”お正月事情――天皇陛下は大忙しでも女官は「朝から日本酒」!?【日本のアウト皇室史】
――では、そんな女官たちはどんな衣服を着用していたのですか?
堀江 お正月は女官たちも朝から洋装でドレス姿だそうです。みなが揃って、新年を祝う朝の御膳をいただくのですが、これが和食なんですね(笑)。詳細は残念ながら残されていませんが、普段よりも皿数が多く豪華でした。朝から日本酒が出たり、甘く煮たゴボウ、白味噌を焼いたお餅で挟んだ伝統的なお菓子「お焼がちん」が出たそうです。ドレス姿でお餅を食べている姿って、想像したら微笑ましいですね。そして、朝の御膳が終わると、“女官長”など身分の高い職員たちが、お祝いの言葉を申し上げるため天皇皇后両陛下の前に、整然と一列に並びました。
――天皇皇后両陛下の前でご挨拶って、なんだか緊張しちゃいそう……。
堀江 ご挨拶の内容ですが、「御機嫌よう、いよいよ(両陛下が)お揃い遊ばしまして、何の何の申し分さまもあらせられず、ご機嫌よく成らせられます御事、ありがたくかたじけなく存じ上げます」というもの。意訳すると「両陛下や皆様がお正月を何の問題もなく、ご機嫌よくお過ごしになられていること、これって本当にありがたく幸せなことですよね」という感じかな。
実は上の挨拶は、女官同士で交わした新年の挨拶の一部。しかし、高位の女官が両陛下にするご挨拶も同じようなものではないかと思われます。NHKの連続テレビ小説『花子とアン』で連発していた「ごきげんよう~」のオリジナルといってよいかな。覚えてる方、いらっしゃるといいけど。明治天皇は儀式の進行が滞ると、みるみる不機嫌になったそうです(笑)。
さらに面白いのが、新年ということで、よりゴージャスに正装している女官の化粧は、普段よりザツになりがちだったということ。当時の宮中は、電灯が使える部屋も限られており、女官たちは朝4時~5時くらいには起きて、薄暗い灯火の下ですばやく身支度をしなくてはなりません。だから女官のお正月のお化粧は、普段よりも粗くなりがちで、明るくなってからお互いの化粧がヘンなことに気づき、笑いあったりしていたとか。また、朝からお酒が出るので、ついつい酔っ払った女官同士でひと悶着あったりもしたそうです。
――戦前の宮中って、もっとピリピリしてるのかと思ったら、意外に和やかな雰囲気なんですね。
堀江 天皇・皇后両陛下を中心とした「大家族」みたいな、ほのぼのとした雰囲気が宮中に漂っていたようです。こうした「内輪」での新年の挨拶が終わると、次は外国の公使や、政治家たちに天皇皇后両陛下は謁見するべく、正殿に向かわれたとのことです。皇后陛下の「マント・ド・クール」の裾は何メートルもあるので、その裾を学習院に通っている学生の中から選ばれた、特にかわいい6人の少年たちが捧げ持ったそうです。彼らの役職は「御裳捧持(おんもほうじ)」といい、紺のビロウドの制服を着ていました。半ズボンに白いタイツ、そして帽子といった装いで、『宮中五十年』 (講談社)という著書の表紙の少年たちが、まさに「御裳捧持」です。
――本当に、選ばれし雲の上の存在というか、華麗なる世界ですね。
堀江 うっとりしちゃいますよね~。戦前の女官をはじめ宮中の職員たちは、華族など選ばれた人たちだけ。一般参賀はまだありませんから、庶民が天皇皇后両陛下に新年のご挨拶をできる機会は限られており、新年に和歌を作ってお送りする程度でした。現在でも「歌会始」では、お題が毎年発表され、さまざまな歌詠みの方々のお歌が集まりますが、これは1874年(明治7年)以降の伝統です。
さて、このような宮中生活を知るについては、良い本があります。明治天皇と昭憲皇太后に仕えた女官・山川三千子(旧姓・久世三千子)さんという女性の手記が『女官 明治宮中出仕の記』(講談社)というタイトルで文庫化されています。山川さんは女官として宮中にお勤めになる時、「どんな些細な事柄も、親兄弟にさえ話してはならないのですよ」と先輩女官から教えられたそうなのですが、何か思うことがあったらしく、1960年には『女官』と題した書籍を出版なさいました(笑)。
サイゾーウーマンの読者には「女官」という存在に興味がある方が多いようですね。今回みたいに、ほのぼのとしているだけではすまない女官生活、“女の園”のウラ事情についても触れられているので、次回からこれをもとに少しずつお話できるとよいな、と考えています。本年も何卒、よろしくお願いいたします。