芸能
[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

パルムドール受賞『パラサイト』を見る前に! ポン・ジュノ監督、反権力志向の現れた韓国映画『グエムル』を解説

2019/12/27 18:00
崔盛旭

 「在韓米軍地位協定」という不平等な条約に縛られている韓国では、当時は米兵の犯罪を直接裁くことができなかった(現在は重大事件の1次裁判権は韓国側にあるのだが、米軍側の要求があれば放棄するというバカげたことになっている)。案の定、米軍裁判所は装甲車の操縦士らに無罪の判決を下し、誠意のない米軍の態度に国民がようやく目を向けたのは、W杯が終わった後だった。手遅れになるまで気づかなかった自分たちは、なんと鈍かったのだろう――自責の念に駆られた国民によって、ネット上では黒いリボンの絵と「지・못・미(ジ・モッ・ミ)」(「守ってあげられなくてごめんね」という意味の略語)の追悼文が急速に広まった。今では当たり前になっている大規模なロウソクデモが始まったのも、この時の追悼集会からである。

 このように考えると、本作は「反米」という殻をまといながらも、その核にあるのは、守ってあげられなかった2人の幼い「ヒョンソ」への哀悼でもあることがわかってくる。狭い道路で轟音を発しながら迫ってくる装甲車は、2人の少女にとってグエムルそのものだったに違いない。ソン・ガンホ演じるヒョンソの父親カンドゥが、心優しいながらも「愚鈍」で「間抜け」な、およそヒーローとは似つかない人物として描かれているのは、国家的イベントに目を奪われて大事なことに気づかなかった、韓国国民の当時の「鈍さ」が投影されているのかもしれない。後から気づき、守ってあげられなかったことへの国民の悔しさは、一刻も早くヒョンソを助けに行かなければならないのに、米軍に捕まって動けなくなったカンドゥが「ヒョンソ、ごめんよ、パパが……」と叫ぶシーンで代弁されている。

 もちろん監督は、「グエムル」を単純に「米軍」の表象にのみ固定しているわけではない。映画に描かれる国家としての「韓国」が、米軍に振り回され、カンドゥたちの邪魔ばかりし、ヒョンソの救出に何の役にも立たないことからもわかるように、国際情勢を鑑みると、嫌でも米軍に頼らざるを得ない韓国の状況、それを利用して韓国を牛耳ろうとするアメリカの横暴さ、その犠牲となる弱者を守ることができない韓国の無力さという悪循環の構造こそが「グエムル」を生み出していることを、映画は浮き彫りにしている。

 命を懸けた死闘の末、カンドゥたちは自らの手でグエムルを倒すが、ヒョンソを救うことはできなかった。公開時、なぜヒョンソは死ななければならなかったかがしばしば議論の対象となったが、ヒョンソが犠牲になった2人の女子中学生の置き換えであることを考えると、残念ながらヒョンソの死は不可避な結末だったのだ。

 ただし、ポン・ジュノ監督は「二度と同じ悲劇は繰り返さない」とヒョンソ(ヒョスンとミソン)に約束でもするかのようなラストシーンを用意する――カンドゥはヒョンソによって助けられた小さい男の子、セジュは絶対守るといわんばかりに暗闇の中の漢江をにらみつける。そこには「見なかった鈍いやつ」はもういない。

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