[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

韓国映画『共犯者たち』の皮肉すぎる“その後”……主要メディアが政権に忖度したことで起こる「現実」とはなにか

2019/11/13 17:00
崔盛旭

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

 韓国には韓国放送公社(KBS)、SBS 、文化放送(MBC)という3つの地上波テレビ放送局がある。KBSは日本のNHKのような公共放送局、SBSは民間企業を母体とする民間放送局、そしてMBCは株式会社ではあるものの、公的機関の放送文化振興会(放文振)が大株主であることから公営体制をとっている。日本と比較すると、2つの実質的な公共放送と1つの民間放送しかない韓国のテレビ放送は意外に思われるかもしれないが、その代わり韓国では膨大な数のケーブルチャンネルが放送の多様性を補っている。だが、いずれにしても、全国ネットワークである地上波3つの放送局が、国民に対して甚大な影響力を持っていることは言うまでもない。

 かつて朴正煕(パク・チョンヒ)や全斗煥(チョン・ドゥファン)ら軍事政権時代には厳しい言論統制が敷かれていた韓国は、民主化が進んだ1990年代以降、言論の自由が飛躍的に進歩した。だが政権が代わるたびに保守(=右派)か進歩(=左派)と極端な偏りを見せる韓国では、放送局が政権の意向を探って忖度するといった悪習は依然として残っており、だからこそ国民を混乱や分裂から守るため、公共放送であるKBSとMBCの報道姿勢における公正性や政治的中立性が絶えず問われてきたのも事実である。

 今回取り上げるチェ・スンホ監督の『共犯者たち』(2017)は、まさにその「悪習」にしがみついて言論の自由を踏みにじってきた政権の「共犯者」とは一体何者なのかを突き止めていくドキュメンタリーである。ドキュメンタリー映画として異例の大ヒットとなったばかりでなく、さらに多くの人に見てもらいたいからと公開の2カ月後にはYouTubeで無料配信を始めた。また日本でも、テレビ局の政権への忖度が危機感を抱かれる中で多くの人の関心を集め、全国各地でロングランとなった。


 映画はまず、08年にKBSが保守派の李明博(イ・ミョンバク)政権によって実権を握られた経緯を明らかにするところから始まる。当時、李大統領が指名した閣僚候補2名の不正をKBSがスクープしたことで、候補者らは辞退。発足早々にして興ざめの様相を呈した李政権は、仕返しかのように、前任の進歩派・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で任命されたKBSの社長をクビにし、親政権的な人物を送り込んだ。社員たちは労働組合を中心に猛反発したものの、国家が経営する放送局であるため天下りの経営陣には勝てず、ニュース番組の関係者らは相次いで解雇、政治色の強い番組は廃止されることとなった。21世紀という時代に再び、露骨な言論弾圧が幕を開けたのである。

政治権力VSメディア映画『共犯者たち』の世界