夫は「ジキルとハイド」の二重人格だった――戦後初のバラバラ犯となった女【荒川バラバラ殺人事件・後編】
戦後間もない昭和27年の東京都足立区。荒川の放水路にあった浅瀬は、子供子どもも川底に足がつくため、通称「日の丸プール」と呼ばれ、地域の子どもたちに親しまれていた。5月10日の昼頃、ここで人間の胴体が発見される。遺体の身元は伊藤忠夫巡査(27=当時)。内妻で志村第三小学校の教師をしていた宇野富美子(26=同)による殺人だった。出刃包丁とナタを使い、母親と遺体を解体したという。
夫は「ジキルとハイド」の二重人格だった
伊藤は富美子に一目惚れで、200通のラブレターを送り、ついに富美子との結婚を誓うまでになるが、一緒に暮らし始めると、それまでのまっすぐで真面目な伊藤の印象とは異なる顔が見え始める。
「いつまでたっても伊藤は私を籍に入れてくれず、結婚前『必ず準備する』と約束した家計の設計費も、いつの間にか先に使い果たし、かえって1万を超える借金があることなどが分かりました。『ジキルとハイド』の二重人格が彼の本体であったのです」(富美子の手記より)
一部報道には1万どころか6万円(現在の約10~60万円)の借金があったともいわれており、さらに伊藤は大酒飲みで、勤務態度も勤労とは程遠く、解職寸前だった。家では富美子を殴る蹴るも日常茶飯事で、節約や我慢を重ねて富美子は月給のおよそ半分である3,000~4000円を毎月用立てていたものの、感謝されるどころか「借金したのは、もともとお前のせいなんだ」と非難された。富美子が思い余って離婚話を切り出したところ、仕事道具であるはずの拳銃を抜いて「逃げても絶対見つけ出す」と脅されたこともあったという。
「私は法廷で検事さんから、愛情がないと非難されたことがあります。伊藤もよく同僚に『妻は冷たい』と漏らしたそうですがそれは偽りです。伊藤こそ愛情を持たない男だったのです。私が苦労して工面した金は、飲んだり食ったりつまらぬことに使い果たし、少しでも家庭を顧みようと気持ちのない人間なのです。もちろんこうした味気ない夫婦生活のため、ある点では無情にさえなっていく私の素振りが、伊藤の堕落した生活態度にますます拍車を加えて行った事は否定できません」(同)
合わせ鏡のように、富美子の気持ちが伊藤から離れていくと同時に伊藤もまた、家庭を顧みず酒に溺れるようになっていった。二人には子どもがいなかったがしかし、富美子は離婚ができないと思っていた。それには当時の時代背景が関係している。
「夫は警察官なのです。仮に離婚沙汰にでもなれば、夫は『警察官らしくない行状』として首になるのは明らかなことです。もしそんなことになれば……。日頃でさえ別れたら殺してやると、口癖のように言っていた彼の事ですから、あるいは本当に殺されるかもしれないとさえ想像し、また同居している母や弟のことを考えて、そのままズルズルと元の鞘に帰っていたのです」(同手記)