高橋ユキ【悪女の履歴書】

夫は「ジキルとハイド」の二重人格だった――戦後初のバラバラ犯となった女【荒川バラバラ殺人事件・後編】

2019/09/16 18:00
高橋ユキ

夫が死んだって、自分の力で暮らしていける

 そして事件の日。その夜も、伊藤は泥酔状態で帰宅した。彼は無愛想な顔で出迎える富美子の態度が癇に障ったのか、ひとしきり暴れ、富美子の揚げ足を取り悪口を言ったあと、その晩の夜勤を放り出して寝入ってしまう直前に、彼女にこう言ったのだという。

「殺すのは惜しいな。お前を女郎にでも売り付けたら儲かるのだが」

 これを聞いた富美子の糸はついに切れた。思わず血が逆流するのを感じたという。

「餓死しても良い、殺されてもいい、それが本当に愛する夫のためなら……。だが伊藤みたいな人間に殺されるのは嫌だ。と言ってこのままでいれば、むざむざ伊藤の犠牲になるのを待つばかり。伊藤が死んだって親子3人の生活は自分の力で平和に暮らしていける。もしそれができないような自分だったら、生きていたって同じことだ。幸い伊藤は眠っている。ヒモか何かで首を絞めて殺せるかもしれない」(同手記)

 殺害計画を組み立て頭が冴え渡った富美子が思い出したのは、伊藤が1カ月前に自宅に持って帰って来ていた『自警』という書物だった。ここに書かれたある殺人事件の絞殺方法を参考にし、夫の警棒の真ん中にグリーンの麻紐をくくりつけ、窓の外の間にそれを挟み込んだのち、窓際から引いた麻紐を夫の首を巻きつけて、下の端を握って一気に絞めたのだった。うめき声をあげたのち、伊藤はあっけなく絶命したが、富美子は「生き返ってくるかもしれない」と、さらに1時間、首を絞め続けていた。


 富美子は伊藤を殺害して、遺体をバラバラにするまで、一昼夜、それを押入れにしまいこんでいたことは先述の通り。その間、富美子は何食わぬ顔で勤務先の学校に行き、いつものように、子どもたちを相手に授業をしていた。

 殺害後の心情について、富美子はこのように振り返っている。

「その(殺害時の)ひとこまひとこまが、恐ろしい映像となって、今でも獄中の私を苦しめています。起訴されるまでの間、私の頭には過ぎし伊藤との生活の思い出が走馬灯のように駆け巡り『取り返しのつかない』絶望感と『非人間的な行為』の恐怖感との、止めどもない葛藤のうちに日を送ったのです」(同)

 後悔と恐怖に苛まれていたとは言うものの、完全犯罪を目論んでいたのだろう。バラバラにして投棄した遺体の一部が川から発見され、報道がなされるまで、伊藤の行方不明届を出してもいなかった。次々と川から遺体があがり、そのたびに報道が加熱しても、当初は母娘ともども、犯行を認めずにいた。

 一方で、初めて遺体が見つかった翌日には伊藤の継母に電報で「タダオカエラヌ、ソノチ ツカヌカ、フミコ」と発信。数日後には速達で「実は7日の夜11時頃から忠男が出ていったきり帰ってきません。荒川にバラバラ事件もあったため、心配で御飯も食べられず、夜もろくに寝れません」といった内容の手紙を送っているのだ。


「支配しない男」 になる