出刃包丁とナタで男をバラバラに――結婚誓った内妻の告白【荒川放水路バラバラ殺人事件・前編】
世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。
戦後間もない昭和27年の東京都足立区。市民プールや学校にプールがあることが珍しかった頃、辺りにひしめくバラックに住む人々は、暑くなると荒川やその入江などで泳いでいた。現在、荒川の河川敷はさまざまに整備され、サッカーコートや広場がおかれているが、当時、荒川放水路東岸にあったひょうたん型の浅瀬は、子供子どもも川底に足がつくため、通称「日の丸プール」と呼ばれ、地域の子供子どもたち達に親しまれていた。
5月10日の昼頃、ここで泳いでいた子供子どもたちが「変なものがある」と、魚釣りの大人に教えた。見ると、岸辺の芦の間にハトロン紙と麻ひもで荷造りした動物の死体らしい大きな包みが転がっている。ところどころから、どす黒い血がにじみ出て、臭気を放っていた。よく見るとどうも人間の胴体らしい。男は所轄の西新井署に急報、戦後初のバラバラ殺人事件が発覚した瞬間だった。
第5回:荒川放水路バラバラ殺人事件
終戦から7年がたった昭和27年、戦後初めて開催されたメーデーに集まった群衆の一部が、解散地点の日比谷公園から皇居前広場になだれ込み、警察隊がこれに発砲。2人の死亡者を出した。それから数日後には、東京・新宿で火炎瓶騒ぎも起こった。「何か革命でも起こるのではないか」と案じる声も囁かれる中で発覚したバラバラ殺人だったことから、遺体の身元確認を進めると同時に、犯人の動機についての捜査も進んだ。
胴体の発見後、直ちに西新井署に設けられた捜査本部により捜査が進められるなか、15日朝9時50分ごろ、死体の首が「日の丸プール」の対岸で発見される。さらに翌16日朝8時40分ごろ「日の丸プール」上流約9キロの新川鉄橋下で両腕が見つかった。この指紋を照合し、被害者の身元が判明。板橋区に住む志村署の警ら係、伊藤忠夫巡査(27=当時)であることがわかった。そのため捜査本部では伊藤巡査の内妻、志村第三小学校の教師をしていた宇野富美子(26=同)から事情を聞き追及した結果、同日夕方ごろ、犯行の一部を自供。逮捕に至った。