寵愛した“巨根”男性を天皇に!? 公私混同で国民総スカンの「嫌われ女帝」とは【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。最近では、女性・女系天皇論争の皇位継承者問題や秋篠宮家の長女・眞子さまの婚約者・小室圭を巡る一連の騒動などが注目されているものの、実は、こんなのは大した騒動ではなかった……? 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!
男に突き動かされた!? アグレッシブな女帝・孝謙天皇
――前回は、ほかにも男性皇族がいるのにもかかわらず、“オトナ”の事情で女性天皇なった、女帝・孝謙天皇についてうかがいましたが、どのようなことを行ったのか詳しく教えてください!
堀江宏樹(以下、堀江) 孝謙天皇は重祚(一度退位した天皇が再び即位すること)して称徳天皇とも呼ばれていますが、前回と同様にわかりやすさを重視して、「孝謙さま」と統一しますね。まずは、皇室のお約束からおさらいしましょう。天皇が代々受け継ぐ“血統”は男子しか継承できません。また、女子は天皇に即位できても結婚が許されないので、次の世代にバトンを渡せないのです。
――この制度を現代に当てはめると、疑問点しか見つからないですが……。
堀江 昔と今では、人権の前提がまったく違うのは事実なんです。ちょっと脱線するとね、男系相続にこだわる国は、男子なら側室の子でもぜんぜんOKというのが大前提。大正時代までの日本の皇室もそういう感じ。一方、一部ヨーロッパの王室みたいに、女系相続でもOKという伝統の国もあります。でもこれは裏返せば、正室の子でないと「絶対にダメ」という意味。正室の子なら、女子でもOKということは、「王様でも浮気はダメ絶対!」というキリスト教的な道徳に縛られた結果なのです。そこから考えると、現在の日本の皇室は「側室ダメ」、しかも「男子でなきゃダメ」と、かなり“高い”ハードルを押し付けられてしまっている状態になりますね。これらの継承問題はまた後々、お話するとして、歴史の話に戻りましょう。女性天皇が即位するというのは、皇位の男子継承の流れが一時的に途絶えそうな時や、ほかに適切な男子が即位できる状態になるまでの「中継ぎ」です。
孝謙さまが天皇に即位した背景には、母親・光明皇后の実家である藤原氏がほかの男性皇族を抑えこむという「猛プッシュ」がありました。しかし、即位はしたものの、実権は長い間、母親・光明皇后とその愛人といわれる藤原仲麻呂という男に握られ、その二人に“言われた通り”に政治を行うだけ。758 (天平宝字2) 年8月には皇位を親族の男性に譲り、淳仁天皇として即位させ、「孝謙天皇」としてはここで退位です。ちなみに譲位理由は母・光明皇后に娘として孝行したいから、というものでした。