『ザ・ノンフィクション』言動が演技っぽい人種とラーメン「天国のあなたへ…~「ラーメンの鬼」の背中を追って~」
佐野の幻のラーメンレシピを再現したというときも、しおりのお墨付きをもらったというのに、結局石塚はそれを、「お金を取ってしまうと、全部壊れちゃうような気がする」「あれ(幻のレシピ)は何かの時にしおりさんが食べて(佐野さんを)思い出してくれたら」 と本人的にはロマンティックなつもりなのだろうが、見ている側にしてみれば今一つよくわからないことを言って、メニューとして提供しなかった。放送されたら客も来るだろうに、フィーリングで動くのは経営者としてどうなのかと思う。
しかし、佐野の幻レシピは利尻昆布やブランド鶏肉などの材料を、鍋にホントに入るのかと思うほどふんだんに使うものだったと放送されていたので、もしかして石塚は、店で出そうとすると採算に見合わないという、純粋な経営的判断を下したうえで、自分のキザなキャラを生かして「全部壊れちゃう」みたいな言い訳をしたのかもしれない。そうであれば、経営センスを感じるのだが。
ラーメンの世界なら演技性も魅力に
日本人は、世界においては比較的“演技性”の薄い民族だと思う。外国人の観光客が思い切りポーズを決めて撮影している姿を見て、引き気味になる人も多いだろう。他人の“演技性”に敏感なため、それが過剰な人は嘲笑やいじめの対象にもなりかねない。
石塚やしおりといった演技がかってしまう人は、日本において堅い業種の会社勤めなどは向かないだろうが、ラーメンの世界では、それが人を引き付ける「カリスマ性」に変化するのではないか。弱点と思われがちな気質が、武器に変わる瞬間だろう。
たいていの日本人が、そうした言動は恥ずかしくてできないのと同様に、彼らにとって「演技っぽくしない(冷めたように振る舞う)」ことは、苦痛のはずだ。そう思えば、石塚やしおりが、ラーメンの世界で生きていくのは己の持ち味を生かした道といえるだろう。
最後になるが、ラーメン丼が手元に置かれることを「着丼」としおりは表現していたので、通ぶって使ってみるのも一興かもしれない。
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石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂