女性天皇の皇位継承問題……「結婚は許されない」伝統に逆らった女帝【日本のアウト皇室史】
――ただ、男性天皇と異なり、女性天皇は結婚できないんですよね。
堀江 そう。特筆すべきは歴代の女性天皇の全員が、独身の状態で即位していること。中には結婚経験者もいますが、即位時には未亡人でした。それが大きなポイントになっていて、退位後も結婚や再婚をしていません。ちなみに日本だけでなく、朝鮮、中国の女帝についてもそういう感じですね。ただ、今回注目したいのは「女性天皇は結婚できなかった」という事実より、「女性天皇のパートナーとなる男性が、問題視されがちだった」という点です。
――女性天皇に夫がいたとしたら、その男性が女性天皇を操る“影の帝王”のようになる恐れがあるということでしょうか。
堀江 そうです。でも全ての女性天皇が、おとなしく「あなたは生涯独身!」という伝統を受け入れられたのかというと、そうでもなさそう。今回お話する、孝謙天皇/称徳天皇は明らかにそうではなかったと僕は考えています。
――“伝統”によって得たカリスマに逆らうとは、なかなかパワフルな女性天皇ですね。どのような方なのか気になります。
堀江 ちなみに、孝謙天皇は重祚(一度退位した天皇が再び即位すること)して称徳天皇とも呼ばれていますが、今回はわかりやすさを重視して、「孝謙さま」と統一しますね。彼女は聖武天皇と光明皇后の間に生まれた一人娘です。父親の聖武天皇は、奈良の大仏を最初に作らせた人と言えば想像しやすいのでは? また、母親の光明皇后は“有力者”である藤原氏の出身だったこともあり、聖武天皇の数いる妃(妻)たちの中でも権力や財力が飛び抜けていました。おまけに、容姿も美しかったといい、まるで光り輝く存在だったことから“光明”皇后と伝えられるようになったという説もあります。
――現在のように、天皇と結婚したら即・皇后になれるというわけではないと聞いたことがあります。
堀江 そうです。結婚した瞬間から、「オーディション」が始まるイメージ。多くの女性を出し抜き、皇子を生むことが皇后になるための条件ですが、光明皇后には実家・藤原氏のゴリ推しもありました。
――実家にそこまで応援されると、プレッシャーを感じて正直病みそうですが……。
堀江 「運もコネも実力のうち!」って割り切れる“鈍感力”こそ、天皇の後宮で生き抜くための必須条件だったのかもしれませんね。理由こそわかっていないものの、聖武天皇の母君は長年、重い心の病で面会謝絶状態が続いていたといいますが、天皇の妃としてプレッシャーの強い生活に疲れ果てた結果かもしれません。