川崎殺傷、池袋・大津事故――「被害者報道」めぐるマスコミ批判に、報道記者はどう答える?
――被害者報道の在り方については、長年議論されていることですが、“変わってきた”と感じる点はありますか。
A 昔に比べると、被害者やそのご家族に配慮した報道にはなってきていると思いますし、いまこうして議論が再燃している中、テレビや新聞各社は、あらためて「実名報道の意義とは」「取材方法に間違いはなかったのか」と話しているのではないでしょうか。例えば、葬儀の取材はご遺族が最も嫌がられるものだと思います。一昔前は当然のように取材されていたと思いますが、現在では葬儀の取材を必ずしもするものではありません。そこはご遺族の考えを尊重して、自粛しなければいけない場合もあるのではないか、と。
――確かに以前は、テレビで葬儀の様子が流れることもよくありましたが、減ってきているように感じます。
A 昔は、勝手にマンション中に入って、住人に話を聞くといった取材も普通に行われていましたから。今だと「不法侵入」で逮捕される可能性もあります。「取材方法」に関しては特に変わってきていますね。
――速報性が重視され、各社の競争が激化することが、強引な取材につながるといった指摘もありますが。
A 確かに、「各社の競争が激化」という点は、認めざるを得ないところはありますね。上から「どうしてうちだけ被害者の写真が手に入れられないんだ」などと叱られることは実際にあるのです。ただ、だからと言って、ご遺族の自宅のピンポンを押して「写真をください」なんてことはしないですし、各社の競争がご遺族に何か大きな影響を及ぼすということはないのでは……。逆に、実名報道でなかった場合は影響が出ると思います。ご遺族以外の方からお写真を入手する際、「あの人に何かあったの?」などと騒ぎになり、ご遺族にも負担になってしまう可能性もあります。
――大津園児事故では、事故当日に保育園側が会見を開き、その中で記者が、保育園側の安全責任を追及するような質問や、出発前の園児の様子などを聞こうとしたことにより、ネット上で「保育園側を責めるのはおかしい」「意味のない質問」などと大炎上が起こりました。
A 個人的には、質問内容がよくなかったと思います。保育園側の安全責任を追及することが、あの会見での本質ではないと感じますし、ただ、追及しようとする気持ちはわかります。事故というのは、さまざまなミスが重なって起きるものですし、その原因を考える意味では正しいが、あの状況、あのタイミングで聞くべきではなかった。保育園が重大なミスを犯した“悪者”ではないであろうことは、あの時点でわかっていたでしょう。
――マスコミが、被害者サイドである保育園に「会見を開かせた」といったニュアンスでとらえる人も少なくなかったようです。
A 私は「開くべきだった」「開くべき意味があった」と思います。保育園側に不手際があったわけではないことが、あの会見によって知れ渡ったのですから。
もし数字取りだけが目的だったら……
――被害者報道について、今後の課題だと感じることをお教えください。
A 先ほど、「原則として実名報道」というお話をしました。いま実名報道の是非について議論が巻き起こってはいるものの、その精神は揺らぐことはありません。さまざまな意見を聞き、考えなければいけない問題ではありますが、実名報道をやめていこうという流れではなく、実名報道は行う、けれど、「なぜ実名報道をするのか」を理解してもらうことを意識すべきではないかと。その努力なしに実名報道をするのは、やはり「被害者への配慮はない」と思います。
我々は目先のスクープで“数字”を狙っていると勘違いされがちですが、もし数字取りだけが目的なら、過去にあった事件や事故を再び振り返る――例えば「地下鉄サリン事件から20年」などの特集は行いません。報道によって世の中を変えていきたいという気持ちを持っていることを知っていただければと思います。