「ジャニーここにあり」を強く印象付ける、映画『少年たち』の果てしない不思議と狂気【ネタバレ】
少年をあっさり殺すのは、ジャニーさんならではの悪趣味ぶり健在といった感じなものの、回想シーンのみの出演で、登場→即死亡を遂げるのが7MEN侍・中村嶺亜というところに、凄まじいジャニー臭を感じる。
かつて、シンメの相手が退所してしまい、Mr.KINGの3人と一緒に4人で『ジャニーズ銀座』に出演したかと思えば、一人そこから外されたり、ユニットに入れず「フリーランス」になったりした嶺亜。そして、自ら『炎の体育会TV』(TBS系)出演者などを中心に運動神経の良いJr.たちに声をかけてスケボーを教え、ともに練習し、それが認められて新ユニット「7MEN侍」が結成された。
自らの努力と戦略による出世物語は、ここでは語りつくせないほどだが、にもかかわらず、オイシイ役とはいえ、やっぱり「即死亡」する。ジャニーさんにとって、「中村嶺亜」はいつでもちょっと気になり、ちょっとイケズしたくなる存在なのだろうか。
また、最大限におかしかったのは、室龍太の存在。病で死んだはずなのに、爽やかな夏空の下で、関西Jr.たちがキラキラに「Happy」などと歌い踊っていると、ラスト方で室がピンピンして登場する。
不思議さを醸し出す存在として、看守長を演じる関ジャニ∞・横山裕のことも忘れてはいけない。横山の演技や役作りは、『左目探偵EYE』(日本テレビ系)で演じていた役とほぼ同じだが、いつの間にか良い人になったり、5年で急速に老けたり、突然死んだような様子を見せたりする。しかも、刑務所を110年間見守ってきた“創設者”みたいな扱いを受けていた。
この件を推測するに、プロによる脚本上では当初まともな人物説明だったのに、ジャニーさんが強引に手を加えたことで、誤解が生まれたのではないだろうか。
また、肝心の脱獄計画も、わざわざ頭の回る田中樹を「情報屋」として配置しながら、全く機能させていない。「情報屋」と役割が完全に被ってしまった、松村北斗演じる頭脳担当の「ダイケン」(大学検定の意)も、わざわざ碁石を持ち出して、大層な作戦を練ったように見せかけておきながら、ただ“バラバラに散るだけ”という計画の単純さが、またジャニー流。
これも、おそらくもともとの脚本ではもう少し意味のある作戦があったのだろうが、ジャニーさんにとっては興味のない面倒くさい話として、端折られたのではないか。ともあれ、そんなチンプンカンプンな「雑」具合が、「ジャニーここにあり」を強く印象付ける。ジャニー的世界は、意味なんか真面目に考えちゃいけない。「感じること」が大切なのだ。
もう一つ、ジャニー流をすさまじく感じたのは、京本大我の死の描き方。屋上から落ちるシーンでフラッシュバックするのは、ドラマ『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』(TBS系)でKinKi Kids・堂本剛が死ぬ、悲しすぎるシーンである。もしかしてジャニーさんもこのシーンを思い出して、涙とヨダレを垂らしながら見ていたのではないかなどと、妄想が膨らんでしまう。