明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心【老いゆく親と向き合う】
姉から「お母さんが入院した」という連絡が来たのは、岩崎さん一家に穏やかな日常が戻ってしばらく経ったころだった。トイレで倒れている母を姉が発見し、救急車で病院に運んだという。
「原因は不明だったものの生命にかかわる状態ではないとのことでしたし、姉が毎日病院に行ってくれているようなので、ひとまず大丈夫だろうと。ちょうど仕事も忙しい時期だったため、様子を聞きながらも姉任せにしていたんです」
そんな岩崎さんのもとに電話が入った。姉の長女からだった。
「姪から怒られてしまいました。『おじちゃん、自分のお母さんでしょ。何やってるの?』と。『これまでも、うちのお母さんは仕事しながら、おばあちゃんの様子を頻繁に見に行っていた。それは娘だから当然だけど、今回の入院でさすがにお母さんも疲れている。おじちゃんもおばあちゃんの子どもなら、お母さんと替わってあげるくらいしたら?』って、これにはこたえました」
姪の怒りももっともだ。慌てて金曜の夜、仕事を終えると飛行機に乗り、母親の病院に駆け付けた。
「面会時間は過ぎていましたが、事情を話して母の部屋に行きました。母は寝ているようでしたので、起こさないように座っていたのですが、ふと母が目を覚まして僕を見たんです。それで『お母さん、大変だったね。大丈夫?』と声をかけたところ、母はこれまで見たことのない厳しい表情に変わったんです」
もう一度「お母さん」と呼んで手を握った岩崎さんに、母親は厳しい表情のまま、吐き捨てるように言ったのだ。
「息子は、嫁の家に盗られてしまって、いないも同然」と――
「おそらく入院して環境が変わったことによる“せん妄”だったんでしょう。そうだとわかってはいても、これが母がずっと胸にしまっていた本心だと思えて仕方ないんです。めったに顔を出さない僕のことはもういないものとして、あきらめようとしていたんじゃないかと思うと、なんとも……」
幸いなことに、その後母親は回復し、岩崎さんの毎週末の帰省は2カ月ほどで終わった。
「正直ヘトヘトでしたが、姪への意地もありし、頑張るしかありませんでした。でもこれ以上続くとこちらがダウンでしたね。遠距離介護をしている人を尊敬しますよ」
母にはもちろん、姉にも、妻にも、せん妄時の言葉は伝えていない。
母は再び元の穏やかな母に戻り、一人暮らしを再開した。でも、もう岩崎さんは母の入院前の自分には戻れない。
「息子は、嫁の家に盗られてしまった」という言葉は、今もはっきり耳に残っている。