サイゾーウーマン男性アイドルSTARTO(旧ジャニーズ)元ジャニーズ近藤真彦メリー喜多川「鬼のように怖がられてた」 男性アイドル [ジャニーズ最新言行録] ジャニー&メリー喜多川「鬼のように怖がられてた」――松本隆が明かす「硝子の少年」制作秘話 2019/03/13 08:00 サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman) ジャニーズ近藤真彦メリー喜多川 ラジオだと良い仕事するんですよ、長男坊は ジャニーズ事務所の重鎮・近藤真彦がパーソナリティを務めるラジオ番組『COME ON! ROCKIN’ ROAD』(FM COCOLO)。月替わりのゲスト、3月は作詞家・松本隆が登場し、近藤とトークを展開。10日放送回では、KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」(1997年発売)の制作秘話などが飛び出した。 松本が作詞、シンガーソングライターの山下達郎が作曲を手がけた「硝子の少年」は、当時のオリコン週間シングルランキングで初週31.5万枚を売り上げ、初登場1位を獲得。この曲によって堂本光一&堂本剛の知名度はさらに広まり、ジャニーズJr.時代より人気だった彼らはスター街道を駆け上っていった。 そんな名曲「硝子の少年」が誕生した背景には、ジャニー喜多川社長の姉であるメリー喜多川副社長の存在が大きかったようだ。1990年代、近藤や松田聖子への歌詞提供で力尽きてしまい、仕事を5~6年休んだという松本。ある時、久しぶりに東京・麻布十番のイタリアンレストランで食事していたところ、後ろの席で「怖い声がしてる」「この声はなんか聞いたことある」と思い、チラッと見ると、「メリーさんがいた」とのこと。メリー副社長の性格を知る松本は「そりゃ怖いよね(笑)」と振り返り、「それでさ、目が合っちゃって。『あら松本くん、今度ちょっと新人頼むわ』つって。『はい』って」と、活動再開に至った思わぬ再会を明かした。 この「新人」について、「それがキンキだったんですね」と近藤が驚くと、松本は「そうそう、それで大騒ぎになっちゃってね」と回顧。「それスゴいなぁ~。そこで、イタリアンで会ってなかったら、キンキの『ガラスの十代』なかったってこと?」と、衝撃のあまり、1987年発売の光GENJIのシングル曲を口走り、松本に「『硝子の少年』(笑)」とツッコまれる一幕も。 松本は制作時を思い返し、「あのシリーズ。マイナー歌謡シリーズ。でさ、ずっとジャニーさんがOK出なくてね」「いっぱい作ったのに全然OK出なくて。全部お蔵入っちゃって。で、3つ目にできたのかな。『硝子の少年』が」と、懐かしんだ。近藤も「いい歌だったなぁ~、あれには抜かれたなぁ」と、歌手としてのストレートな感想をポロリ。 次のページ 「今はおとなしいだろうけど。あの頃はね、ホント鬼のように怖がられてたからね」 12次のページ Yahoo 新品 The BEST(初回盤BD付) KinKi Kids 関連記事 ジャニーズ事務所の重鎮、「もういいよ、キムタク。十分だよ」と木村拓哉に進退を追及元ジャニーズたちが語ったメリー喜多川「恐ろしい女傑」「営業能力は神業」「母親的な存在でした」「ベッドで毎晩、自由にされ続けた」元ジャニーズが語る合宿所時代滝沢秀明引退発表のウラで……メリー氏が“お達し”! 報道されないジャニーズの「波乱」ジャニーズ事務所“トップ”近藤真彦(53)、メリーからの深い寵愛と「特別待遇」の歴史