セクシュアル・マイノリティをめぐる社会は50年でどう変わったか?【カルーセル麻紀×ディヴィーナ・ヴァレリア対談】
——過去に取材したセクシュアル・マイノリティの方の多くがおっしゃっていたのは、家族へのカミングアウトが一番難しいということでした。お2人の場合は、いかがでしたか?
ヴァレリア 私は自分からカミングアウトしたのではなく、街中で同じような趣向の仲間と遊んでいた姿を近所の人が見かけて、家族に告げ口したんです。母や兄弟は薄々感づいていたようで、あまり抵抗なく受け入れてくれましたが、義父(母の再婚相手)はとても厳格な人で受け入れてくれなかったので、家を追い出されてしまいました。それはつらいことでしたが、17歳の頃から、自分で生きていくしかなかったんです。
カルーセル うちも似ているんです。父と長男から「二度とうちの敷居をまたぐな」と言われ、15歳で家出して、芸能界に入りました。有名になってからも、30歳までは偽名を使って、本名を言わなかったです。後々になって、一番下の妹の結婚式の時に、初めて実家に帰ることができました。今では帰ると、甥っ子、姪っ子から、「麻紀おばさん」って言われるんですよ。
ヴァレリア 私は今となっては、義父が私を追い出したことを、逆に感謝しています。そのおかげで、今の自分になっている。世界を旅して、素晴らしい人生を歩んでいるのですから。そうでなければ、義父と同じ、面白みのない人生だったかもしれません。
カルーセル うちも同じ。父親は「絶対一緒にテレビには出ない」って言っていたのに出るようになったり、京都とか一緒に旅行に連れて行って、とても喜んでいました。父親が亡くなって葬式の時に、蓄音機を持っていないのに、私のレコード、同じものを何枚も買い集めていたことを知ったんです。母親は、「この世界に入ったなら一流になりなさい」と言っていましたが、父は口では言えなかったんですよね。
——家族も社会も変えるには、とても時間がかかりますね。
カルーセル 私や彼女みたいに開き直って生きてきたら、怖いものは何もない。叩かれ強いから、ずっとやってこられたのよ。もう50年もやってきてるんだから。