天理教「潜入」2泊3日、“私”の信心が「急激に冷めたワケ」――理想と“俗世”のはざまで
ついに最終日を迎えた3日目の早朝。わたしはすくっと起き上がり、率先して、手慣れた手つきでおつとめができるようになりました。しかも「ほら、あんたもちゃんとやって」と、子どもに促せるまでに。
黒い法被を羽織り、気持ちを整え、班のみんなに会いにゆくべく、砂利を踏み鳴らします。そう、もうなんか、「班のみんなに会う」という感覚になっていたんですよね。
最終日、心が通じた「つもり」でいたのに
「あ! おはよう!」
クラスに向かう途中で班の女性たちに会うと、自然と前日の話になります。
わたしがはかなげな女性へ、
「わたしの友達も、姑と折り合いが悪い人、いるんだよね。その子も、勝手に趣味のものとかを捨てられるって言っていて」
と言えば、
「そうなんだ。ほかにもそんな人がいるんだね。昨日、思いきって打ち明けてみて、よかった。だって、こんなふうに、みんなの意見が聞けたから」
と、彼女がほっとした表情を見せます。
なんだろう。このカタルシスは。わたしの存在が役に立ったこの満足感は。
さて、クラスでは最後の取り組みが行われました。配布されていたテキストの空白欄に、班の1人1人がメッセージを書き込む、というもの。要は、「寄せ書き」です。
「どんなことでもいいので、相手に向けた言葉を書いてみましょう」
和田サンが言います。
寄せ書きで気づいた「違和感」
言いようのない高揚感に包まれていたわたしは、1人1人、真摯に、丁寧に、彼らのテキストに言葉を書き込みます。
「あなたはとっても人に好かれる素質を持った方。友達も多いことでしょう。きっと、周りの人もわかってくれるはず」
「あなたのおかげで、班のムードが明るくなりました。ありがとう。きっと家族も、ムードメーカーのあなたのことが、大好きなんでしょうね」
「とっても優しいあなた。周囲のことを考えすぎて、気をもんでいる姿が思い浮かびます。どうぞ、ご自分をいたわって」
さぞ、キモかろう。キモかろうに。たった2~3日で、一体みんなのなにがわかるんだと思うけど、だけどこのときは、みんなに対して、本気でこう思っていた。発言小町の常連相談員並みに、みんなの健やかなる日々をポジティブに願った。だって、世界はこんなにも美しいんですもの――!
ふう、と満足気なため息をついていると、みんなが書いてくれたわたしのテキストが、自分の元に戻ってきました。
みんな、わたしのことを想って、どんなふうに書いてくれたんだろう。想像すると、つい顔がニヤけてしまいます。
「みんな、書き終わりましたか。じゃあ、自分のを読んでみましょうか」
和田サンが言ったそばからテキストを開くと……アレ? なにかがおかしい。
「信仰心を大切に」
「きっとあなたにも、おやさまからいいお導きがあるはずです」
「出会ったことのないような方で、刺激になりました。きっと天理教が、あなたをよりよくしてくれると思います」
……アレ?