[短期連載]天理教のツマ、「宗教合宿」2泊3日潜入記【第4話】

おやさま信仰と、ピュアな空間――“天理教ド素人”の私が、たった2日で「仕上がった」!?

2018/07/25 21:00

「人助けで、母がぶっ倒れた」

 それはいいとして……みな、わたしが家族を否定したことに、強い違和感を覚えていたようでした。でも、素人のわたしからすると、班の人たちのほうが理解できません。

「ボランティアのおばさんもそうだし、義母もそうだけど、みんな家族や自分を犠牲にしますよね? 自分の健康や家族だんらんよりも、天理教のために働くことが優先されているように見えるけど、それが信者ではないわたしにはわからない」

 『真剣10代しゃべり場』(NHK教育、現・Eテレ)のようなテンションでこう聞いてみると、筒香選手がしゃべり場に参加します。

「たしかに、うちの母親は人助けしすぎてぶっ倒れたことがある。変だとは思うよ」

 HITOEちゃんも参戦します。


「小学校から中学校まで、親が運動会に来てくれたことはなかった。寂しかったけど、天理教で忙しいからしょうがないかあ、って。これって、“教会の子どもあるある”かもしれない」

 そして今では、その教会を継ぐか継がざるかの悩みが、ストレスの種。結婚する際にはハードルのひとつになるから相手も信者じゃなきゃいかんし、でも「信仰心はあるから」(HITOEちゃん)という理由で逃げることもなく、細く長く、天理教と添い遂げるというのです。

「運命に逆らわず、受け入れよ」的な天理教の教えのひとつが、まるで呪いのように、HITOEちゃんたちをがんじがらめにしているように見えます。

 まったく意味わかんねえ! 好きなことすればいいのに!

 と、思う一方で、憧れもあります。


 ひとつの強い信念を持つって、すごいよなあ。だから、優しく人のために生きることを、無償で朝から晩まで働くことを、エレベーターの「開」ボタンを押し続けることを、「閉」を押したのに隙間をこじ開けてどしどしと入っていく人がいても笑顔で「開」ボタンを押し直すことを、厭わないんだもの。

たった2日で、”仕上がった”私

 講義中、和田サンが、誇らしげに言いました。

「街角で、人の足を踏んでしまったとする。『すみません』のひとことが出ないことがありますが、言っていこうじゃありませんか」

 そうそう、人は合わせ鏡。「すみません」「いえ、いいんですよ」なんて美しき光景が天理教ではそこらじゅうに溢れているのです。

 都会の駅構内を歩いてごらんなさいよ。ぶつかって「すみません」と言ったら、「チィィィッ‼︎」と、地獄の釜で煮出したような、一生分の恨みつらみを吐き出すような舌打ちをされるんですよ。ここにいる限り、そんなことは起こらない。天理教、すごい。

 2日目にして、自分の心が澄みゆくのが、手に取るようにわかります。

 さて、マジ顔で議論したり、わけ知り顔でうなずいたり、涙を流したりで、じゅうぶんにしゃべり場に浸ったことで、まんまと「心の向きを変え」はじめているわたし。

 この日の全プログラム終了後、子どもを迎えに行ったあと、久しぶりに夫と会うことに。

 宵の明星がきらめく夕空と、薄紫に染まる神殿をバックに、夫が歩いてきます。

「おとうさーん!」

 ただただ広い、神殿前の砂利を、子どもたちが一生懸命走ります。

 わたしも夫へと駆け出しました。

「ねーえ! 来て、よかった、ねえっ!」

 トゥクトゥン♪

 と、鳴り出しそうなほど、まるきり『東京ラブストーリー』の「かーんち!」「せっくすしよっ!」と同じテンションの言葉が、思わず口をついて出てきます。ぴちぴちトレンディーな鈴木保奈美ではなく、黒い法被を来た化粧気のない疲れきった顔のおばさんである事実など、全部放り投げて。

 たった2日でわたしが完全に仕上がってしまったことに、夫はただただ、困惑していたなんて、姉さん、このときは気づくはずもなく――。

 

(文・有屋町はる)

(隔週水曜日・次回は8月8日更新予定)

最終更新:2018/07/25 21:00
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