おやさま信仰と、ピュアな空間――“天理教ド素人”の私が、たった2日で「仕上がった」!?
2日目の朝。天理市に来てからというもの人間の順応性に感心するばかりですが、天理偏差値5以下のわたしでも、朝の「おつとめ」で踊りをできるようになってきました。人間、閉鎖された空間に押し込められると、なんでもできるんですね。
(前回はこちら)
「“おやさま”を見に行けたんでしょう?」
ふと同室のAさん、Bさんを見やると、なにやら様子がおかしい。やたら乙女チックなのです。
「いいなー、子連れじゃない人たちは」
「早朝に“おやさま”を見に行けたんでしょう?」
「もー! ずっるーい! わたしも見たかった〜!」
「ねー! わかるぅ〜!」
2人はサッカー部の先輩の県大会決勝戦を見に行けなかったようなテンションで話していますが、まったくついてゆけません。
2人に聞いてみると、天理教の教祖である中山みきさん(1798~1887)こと「おやさま」(天理教特有の教祖の意味)の、お披露目の儀式(?)が、早朝5時頃、神殿であったそうなのです。身軽ではない子連れたちは、そこに行けずじまいで悔やんでいる、といったところでした。
朝食後に子どもを保育園に預け、この日のプログラムが行われる講堂のような場所まで行く途中、HITOEちゃんに会ったので、「おやさまのお披露目儀式(?)」について聞いてみると、
「そうなのぉ――! めっちゃよかったぁああぁぁ!」
と、サッカー部の先輩が決勝点を決め全国大会へ導いたのを見たようなテンションで教えてくれたので、「おやさま」は信者たちのアイドルなのだな、と認識するに至りました。
現在「おやさま」の立場は、いわゆる「神」として天理教の象徴だそうで、となると「神」のお言葉を下々に届ける役割が必要となります。それが天理教では、「真柱様(しんばしらさま)」の役目だそう。「真柱様」は生きた普通の人間で、肩書は「教祖」ではありません。そして、自分の意志で自分の言葉を話すのではなく、あくまで「おやさま」の言葉を代弁する、という立場なんだとか。
講堂に行くと、参加者がずらりと畳の上で正座をしたり体育座りをしたり。ぎゅうぎゅうです。そうして、「真柱様」のお言葉に耳を傾けます。さすがは大宗教の代表者、優しく抑揚のない語り口で、お説法を説い……て……あぁ……も……う……ダ……メ……。
ぐーぐー。
どやどやと大勢が畳を踏む足音で目を覚まし、お次は前日と同じ教室で講義を受けるべく、移動。机は班ではなく通常の教室スタイルに並んでおり、適当に座ると、隣は介護士をしているという女性でした。
「ねえ、さっきの真柱様の話……」
女性が言うので、
「ねー! やばかったっすよねー! ぐーぐーでしたよねー!」
と返す気満々で前のめりになると、
「とっっってもありがたかったですよね〜〜!」
と、目を輝かせて言うので、わたしはグッとこらえて、
「ですね!」
と力強い嘘をつくことしかできませんでした。おやさまは、こんな罪深きわたしを、赦してくださるでしょうか……。