遊女の初体験、男娼との3Pや性病まで! 吉原遊廓の“お江戸性事情”座談会
――永井さんの本では、江戸時代のセックスには恋愛が介在してなかった、といった旨が書かれていますが、では当時、夫が吉原に行くことを妻はどう思っていたんでしょうか?
永井 内心は嫉妬して、腹立たしく思っていたでしょうね。女性心理は現代と同じです。しかし江戸時代は、嫉妬を表に出すと「あの女は悋気が強い」と言われるから、女性が我慢していた。「恋愛してからセックス」という考え方は、歴史からするとそんなに長くなく、近代的な考えだと言えますよ。武士階級や上級の町人では結婚は親同士で決め、当人同士は祝言の時まで顔も見たことがなかったという例は、珍しくなかったですから。でも、ちゃんとセックスして子どもを作っている。恋愛しなきゃセックスできない、という概念はなかったんですね。
曼荼羅 恋愛自体、あまりしてなかったんですかね?
永井 そう。だからこそ、男は遊廓に今でいう“青春”を求めたわけです。皆、吉原に恋愛しに行っていたんですよ。甘酸っぱい恋愛体験をね。奥さんとは恋愛をしていないから余計ですよね。
中塩 吉原は、いろんな側面を持っていたんですね。吉原と同じくらい歴史があって今も残っているようなところはありますか?
永井 今はもう“遊廓”としては残ってないですね。一応、昭和33年に売春防止法が完全に施行されて、建前として遊郭はなくなっていますから。最近までだと、渡鹿野島(わたかのじま)という、かつて“売春島”と呼ばれた島はありましたが、すでに廃れてしまったようですし……。
中塩 ところで、2020年に開催予定の“東京オリンピック”で吉原をはじめ、風俗業界の取り締まりが強化されるのではと、以前から噂になっていますよね。性的なものって、目を付けられやすいというか……。政治活動に利用されやすい感は否めないですね。
永井 例えば、学校の近くで営業してはいけないとか、そういうルールさえきちんと守っていれば、僕は風俗店の存在意義は大きいと思うんですけどね。まさに「おもてなし」のサービス業ですよ。風俗店に直接落ちるお金はもちろんのこと、周辺の飲食店などに落ちるお金も大きい。そういった間接的な消費も街を支えていたと思うのです。風俗店をなくすなら、そのあとどうするかも同時に考えなければいけない問題だなと思いますよ。
(ヨコシマリンコ)