カルチャー
『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』永井義男×『男娼』中塩智恵子×現役風俗嬢・曼荼羅【座談会・後編】
遊女の初体験、男娼との3Pや性病まで! 吉原遊廓の“お江戸性事情”座談会
2018/07/01 21:00
――江戸時代、遊郭が栄えていたのと同時に“性病”もあったと思うのですが。
曼荼羅 ほとんどの人が性病だったって聞いたことがあります……。
永井 性病検査をするようになったのは明治以降。江戸時代、性病そのものに対して無知だったのです。梅毒は初期症状のあと、潜伏期間に入って一見、症状がなくなりますが、当時の人はそれを治ったと考えていたらしいんです。それくらい性病に対する理解が低かったんですね。
曼荼羅 永井さんの書かれた『図説吉原事典』(朝日新聞出版)で知ってビックリしたんですけど、性病の治療薬として“陰毛を煎じて飲ませていた”って。すごい話!
永井 迷信ですよね。当時は本当に、それくらい性病の治療について無知だったんですよ。
中塩 毛はさすがに飲めませんね(笑)。
永井 当時、人数は少ないですが、長崎に西洋人が来航していました。例えば医者のシーボルトは、日本と日本人を愛していただけに、性病が蔓延している実態を知って、憂えていますね。
――当時、避妊の方法はどういったものがありましたか?
永井 一応は避妊策として、紙を噛んで濡らして膣の中に入れるとか……その程度はあったみたいですけど、万全ではないですからね。
曼荼羅 生理中はどうしていたんでしょうかね? さすがに吉原での勤めは休めたんでしょうか? 現代では生理中でも膣に海綿をいれて出勤する子もいますが……。
永井 “月役七日(つきやくなのか)”と言って、一般的には生理になると7日はセックスを慎む、という風習はあったみたいですよ。ただ、吉原で7日も休むのは許されないと思うから、休めてもせいぜい3日くらい。このあたりのハッキリした資料はないんですが、商売だから仕方ない、と店側もそんな感じだったみたいですね。