「連絡帳の自作」を保護者に指示――“時代錯誤”な小学校と“よき母になりたい”親はなぜすれ違う?
共働きの家庭が増えている中、確かに、“ちょっとしたこと”でも、それが積み重なると保護者にとって多大な負担になることはあるだろう。では、なぜ学校側の“これくらいはお願いしても大丈夫”という認識と、保護者の許容範囲に大きなズレが生じてしまうのだろうか。
「まず先生たちの思考停止状態があると思います。『もし自分が保護者側だったらどう思うのかな?』と、ちょっと想像したら、『すぐ変えなければ』と感じるはずなんですが。きつい言い方ですが、『学校は、“考えないことが大事”とされ、“言われたことをやるのが最優先”の世界なのでは』と思ってしまいます。学校の先生が多忙すぎるとよくいわれるのも、頭を使って考えれば、改善される部分もあるのではないかと。PTAでもそうなんですが、その場では『前年通りにやる』のが、一番話がスムーズで、何か変えるとなるとさまざまな調整が必要となるんです。忙しい中だと特に、“前年通り”“言われた通りにやる”方に流されてしまうのではないかと感じます。そうやって、横着してきた結果、保護者への負担も大きくなってしまったのではないでしょうか」
負担を減らすために何かを変えようとすると、逆に手がかかりすぎて大変。そんな背景が学校にはあるのだろうか。しかし一方で大塚氏は、保護者側にも責任があるという。
「保護者も、学校側に要望を“伝えてこなかった”んです。確かに、忙しそうにしている先生に言いづらいのはわかります。特に子どもが入学したばかりだと、学校側の指示をこなすのにいっぱいいっぱいで、とても言う暇がない。お母さんたちって、基本的に、“いいお母さんにならなきゃプレッシャー”をものすごく受けていて、ノートにラインを引くとか、数え棒への名前つけだとかでも、子どものためにやらなきゃいけないといわれると、断れない。『おかしい』という感情を殺してしまうんですね。でも、その『おかしい』という気持ちを、学校側に言わないことには、何も変わらないですから」
今の保護者たちは、学校側から「モンスターペアレンツ」と見られてしまうことをとても恐れている傾向があり、一方、学校側もモンスターペアレンツに目をつけられないように気を使っている面があるという。そういった背景から、保護者も先生も、お互い「こういった点が負担になっているから、改善しましょう」と言いづらい空気が出来上がっているようだ。
「保護者と先生が、“お互いに負担を減らして、楽になる方法”を考えられるようになるといいですね。例えば、数え棒の名前つけにしても、もっとほかにやり方があるはず。数え棒ってたいてい、小1でしか使わないので、例えば、1人1セットではなく、みんなで共有のものにして、数本なくなったら、次の年に買い足せばいいと思います。学校側は、『子どもが数え棒をなくしたときに、保護者から苦情がくる』という理由で、名前つけを指示していると思うのですが、であれば、『子どもが数え棒をなくしても、学校に文句言いません』と保護者のコンセンサスを取ってもいいかもしれません。それに、自作の連絡帳だって、最初からそういうノートを買えばいいし、そもそもさいたま市の一部の小学校以外の子は、普通に連絡ノートを使っていますよね」
古くから、努力は美徳であるとされる日本。特に学校では、その考えが深く浸透している気もするが、保護者の不必要な負担が減ることは、「何より子どものためになります。ノートにラインを引いたり、名前つけの作業がなくなれば、その分子どもと遊べますもんね」と大塚氏は言う。冷静に考えて、子どものために何をすべきか――それを考えることが、保護者と学校双方にとって、思考停止状態から脱却する突破口となるのかもしれない。