「父親は早く死んだらいい」ゴミ屋敷で3年間の家庭内別居の末、離婚した女性の壮絶体験
――彼が出ていった後の生活はどうでしたか?
年が開けて元日の朝、ウォーターベッドからナメクジが大量に出てきて、ぞっとしました。だけど、これまでつらかった3年間を考えると、大したことはなかったです。意を決して駆除しました。2階の部屋のうち1つを残して3つを彼が使ってたんですけど、出ていった後、3日3晩ほとんど寝ずに掃除しました。
――ゴミは、どのぐらいありましたか?
リサイクルショップの人には、軽トラで3往復してもらいました。お金になったものもあったので、差し引きマイナス3万円ほど。あとは全部ゴミ捨て場へ持っていきました。段ボール箱で30箱ほどと、ゴミ袋数十袋。夫のものだけじゃなくて、いらないものは全部捨ててリセットしたんです。いわば人生の一大断捨離という感じです。
――3日たって部屋が片づいた後、心境の変化はありましたか?
朝起きて、物音を立ててもいい幸せ。ご飯をテーブルの上で食べられる幸せ。本当に何もかもが幸せ。テレビのリモコンを持って、子どもたちと一緒に何を見ようかとチャンネルを選ぶ幸せ。そういう当たり前のことが、幸せに感じられます。私、今人生で一番幸せだと思う(笑)。
――お子さんたちの様子はいかがですか?
娘なんか、あまりの解放感からか、冬なのに家の窓を開けっぱなしにして馬鹿笑いしたり、ヘンテコな踊りをしたりしてますよ。父親に対しては、裏切られたって気持ちが大きかったみたい。だから、3年間の仕打ちについては当然恨んでます。
息子は、もっとドライです。私が「弁護士に頼もうか」って話をしてたとき、「割り切って、生活費入れてもらってたらいいんじゃない?」と冷静に言い放ってましたもの。私が十数年前に「別れたい」って話してたときから、「覚悟してたし、父親のことはそう見てた」って、離婚後に話してくれましたから。
ともかく、今になって言えるのは、3人で結束したからこそ、この3年間を乗り越えられたってことです。だから、子どもたち2人との絆はものすごいですよ。
――今後、子どもを父親に会わせますか?
息子は23歳で、娘は20歳。もう2人とも大人だから、会いたければ会いに行けばいいし、連絡も取ればいい。だけど、子どもたちにしたって、そんな気持ちはさらさらないみたい。「早く死んだらいい」って言ってるぐらいだから。怖いのは、彼が病気になったときです。15年以上、1日3回風邪薬を飲み続けていたぐらい呼吸器がおかしいんです。タバコの吸いすぎ。このままだと、持病の肺気腫が悪化する。そのとき子どもたちに「助けて」と言ってくるかもしれない。
――この先、元夫と会うのは嫌ですか?
私は二度と会いたくないし、風のうわさでも、彼がその後どうなったか……とかすら聞きたくもない。ただ、彼は保険会社の人だから、うちの病院に仕事で電話をかけてくるんですよ。本人から。お互い、相手のことはわかっているけど、名前は名乗らない。それで「はい担当者に代わります」と言って電話を渡します。つまり、お互いに名乗りはしないけど、会話はしてるわけ。そんなふうに、大人な対応をさせてもらってるんです。
婚姻費用調停後、入ってきた月11万円ずつの貯金を使って、近々、家をリフォームする予定です。どんな家にするか、いろいろ考えるのが楽しいですね。
西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。