サイゾーウーマンコラムルポ「別れた夫にわが子を会わせる?」ゴミ屋敷で家庭内別居の壮絶体験 コラム 【連載】別れた夫にわが子を会わせる? 「父親は早く死んだらいい」ゴミ屋敷で3年間の家庭内別居の末、離婚した女性の壮絶体験 2018/03/13 15:00 離婚裁判別れた夫にわが子を会わせる? 離婚裁判が一向に進まないように、妨害を繰り返した夫 ――その後は、どうなりましたか? 半年後となる2年前の6月、人づてで別の弁護士を紹介してもらい、会いに行きました。その弁護士先生、顔を合わせたとき、「どうぞおかけください。話は聞いてます。大変でしたね。私でよかったら、お話を聞かせください」と言ってくださった。それを聞いて、せきを切ったように涙が出てきました。でも泣いて、すごく気持ちが楽になりました。精神安定剤なんかより、ずっと効きます。まさに“神対応”です。 ――裁判は、どういうふうに進んでいったんですか? 6月に相談に行って、さっそく7月に離婚調停が始まった。3回やって不調。その後、離婚の件は裁判になりました。親権を争っているわけでもないし、DVでもない。案件として、深刻さはそれほどでもない。だけど、一向に解決しなかった。 ――なぜですか? 夫が頑強に解決を阻んだからですよ。夫は親戚の手前、離婚だけは避けたかったみたい。のらりくらりと話をそらしたり、逐一、証拠の提出を要求したり。裁判官が読み間違えたら大声で指摘したりして、裁判が一向に進まないように妨害を繰り返したんです。裁判沙汰になるような、面倒な人身事故の担当を20数年やっているから、裁判所は彼にとっては“自分の家の庭”同然のところなんです。老獪のひとことです。 ――結局、まとまったのはいつですか? 同時に進行していた婚姻費用調停は、半年後に先にまとまりました。それで毎月11万円が、私の口座に入ってくるようになりました。そこからは生活が楽になって、貯金ができるようになりました。一方、離婚裁判の方は、ほぼ1年かかりました。結審したのは昨年の9月末のことです。ローンが終わっている2階建ての家は、私と子ども2人のもの。子どもは月5万円の養育費が2人分。ただ上の子は、大学を卒業する今年3月末まで。娘はまだ先なので、そのときまでですね。 ――それで、旦那さんはすぐに出ていったんですか? また、ごねだして振り出しに戻ったら大変です。だから、年末までの努力目標としました。 ――彼が家を去っていったのはいつですか? 最後の最後、昨年の大みそかです。私たちは道向かいの両親の家にいて、彼が出ていくのを待ちました。軽トラを借りて、彼1人で作業して引っ越していきました。出ていったのは大みそかの夜9時でした。最後の最後まで、家を使い倒して出ていきましたね。ゴミがぶちまけられてて、家全体が正真正銘のゴミ屋敷になってました。 次のページ 子どもたちも、父親について「早く死んだらいい」と言っている 前のページ12345次のページ Amazon わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち 関連記事 「義母がくれたのは、3万1000円のガスレンジだけ」訛りの強い東北で、四面楚歌の結婚生活「子どもを元夫に会わせるのは、自分のため」慰謝料も養育費もなく離婚した妻の思い「妊婦なのにOL時代の服を着ていた」三男を抱えながら、節約して夫の借金700万円を返済「元夫が今後再婚しても、親子関係は継続してほしい」障害のある子を守りたい元妻の願い生まれてきた娘には障害があった――家事もする大学助手の夫との生活は順調に見えたが……