パワースポットと“言ってはいけない”、「偽・パワスポ」を見極める3つのポイント
<パワースポットと言えない神社2:目的がおかしな神社 眉唾度★>
日本が戦争を多く起こした背景には「日本は神の国である」という思想があるそうだ。神社の柱などに、「八紘一宇」の四文字を見たことはないだろうか。これは『日本書紀』にある「掩八紘而為宇(あめのしたをおおいていえとなす)」を元に造られた熟語で、本来の意味は「八方に亘る地球上の全ての人々が、一軒の家に住む家族のように、仲良く暮らす」ことだという。つまり「世界平和」を実現する思想だが、この言葉が発せられたのは、初代・神武天皇が橿原に都を置いた時だ。
つまり、「『一つの家』を治めるのは天皇だから、特に太平洋戦争の直前には、日本の天皇がアジア、ひいては世界を統合し、1つの家のようにして治めることが理想であるとし、スローガンにも用いられた。以降、国家の威信を標榜する立派な神社が各地に建てられ、天皇が神として祀られていったが、その際には軋轢も起きた」という。
神武天皇を祀る神社は、その都があったとされる場所に建立されたが、広い敷地を確保するため、村を強制的に移転させたとされる。しかし、江戸時代の国学者・本居宣長は、「神武天皇の都は現在の地ではなく、その一里あまり南西であるらしい」と『菅笠日記』に書き記している。つまり、江戸時代にすでに「間違っている」と考えられていた土地に、政府は村人から土地を奪って建立したという。
こういった神社は広い敷地があり、いかにも神聖な雰囲気を醸し出してはいるが、その歴史を考えたとき、「パワースポット」と言えるかどうかは疑問だろう。
<パワースポットと言えない神社3:寂れた神社 眉唾度★★★>
神社は神様を祭る場所として、舞台装置が揃えられている。鳥居で結界が造られているため、外の世界とはまったく別の空間であり、参道でつながった最も大切な場所には、神が宿る「ご神体」が安置され、それを拝むための拝殿がある。
神社の神聖さを保つため、参拝者が手や口を清める手水があり、場を祓い清めるための鈴があるのだが、世話をする人がいなくなると、手水の水は枯れ、鈴が行方不明になっている神社さえある。場を清める装置が壊れてしまっては、聖地と呼ぶには憚れるだろう。
「こうした神社からは、祭られていた神様も立ち去ってしまう。神様不在の神社は、聖地でないだけでなく、危険。神社はそもそも霊にとって居心地の良いよう造られているため、留守になると邪霊が集ってきやすい」とA氏は話す。キツネやタヌキなどの下級霊のたまり場となっている神社も少なくないそうだ。
史跡としての神社にしか興味がなく、境内が荒れていようが、祠が壊れていようがまったく気にしないKさん。寂れた神社の写真をSNSにアップしたところ、わずか1時間の間に、「霊がたくさん映りこんでいる」というコメントが数件ついたという。「私は霊感がないので、何も感じないのですが……」とは言うものの、しばらくはお守りを握りしめて眠らなければ、悪夢を見たそうだ。
そんなことにならないよう、場が神聖に保たれているかどうか、しっかり見極めて参拝してほしい。以上のように、その内実を知ると、素直に「パワースポット」とは思えない神社もある。観光気分で参拝して痛い目を見ることがないよう、歴史を知っておくと己の身を守ることにつながるかもしれない。