スタローン、クリスマスに家を訪ねてきたシュワちゃんに大感激! 筋肉オジサンたちの友情に見る者もホッコリ
この第34回ゴールデン・グローブ賞で、アーノルドは『ステイ・ハングリー』(76)で新人男優賞を、スタローンは『ロッキー』(76)で映画部門作品賞(ドラマ部門)を見事獲得した。「作品賞をゲットして『何かやんなくちゃ』って、置かれていた花束をつかんで上に放ったんだ。花はアーノルドの肩の上に降り注ぎ、なんとも言えない彼の怒りを感じたよ」とスタローンは楽しそうに回想。アーノルドも「授賞式のこと、覚えてるよ。スタローンの母ちゃんに、『あんた、ピアノの運送屋みたいな子だねぇ』って言われたから」と笑っていたが、当時は心穏やかではなかったようだ。
第一印象が最悪だった2人は互いを敵対視するようになる。先に打って出たのはアーノルドだ。85年10月に受けた『コマンドー』のプロモーション・インタビューで、「スタローンの名前を出されて比較されると、ヘドが出る。奴は体のクローズアップシーンにボディ・ダブルを使うが、俺は使わない」とディス。同年11月にスタローン主演の『ロッキー4 炎の友情』が一般公開されたとき、「強い訛りのある英語を喋るソ連のボクサーはアーノルドに見立てたもので、最後にボコボコにして鬱憤を晴らした」という噂が流れた。
85年12月にスタローンは『コブラ』(86)で共演したブリジット・ニールセンと結婚したのだが、ブリジットは『レッドソニア』(85)で共演したアーノルドにも手を出していたというゴシップが流出。「ブリジットがスタローンに自分のヌード写真を送ったことがきっかけで付き合うようになった」という説と「マリア・シュライバーと真剣交際していたアーノルドが、ブリジットを遠ざけたくてスタローンと一緒になるように仕向けた」という説が流れ、ゴシップ紙を大いに賑わせた。
88年1月、アーノルドは米男性誌『PLAYBOY』のインタビューで、「スタローンと友達になりたいのに、いつも変な電波を俺に放ってくる」とぼやき、「女性を卑下する嫌な奴」「カッコつけて白いスーツを着たり、監督するときには毛皮のコートを着たり」と再びディスった。
88年2月になると、英大手タブロイド紙『ニュース・オブ・ザ・ワールド』が「アーノルドの父親はナチ党員で、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ人物だ。アーノルド自身も隠れナチでヒトラーに心酔している」と報道。情報元はスタローンだと伝えられた。
これ以上のディスり合いは良くないと思った共通の友人が、2人を引き合わせたのが88年8月のことだった。スタローンは友人に「和解した。一緒に仕事するかもしれん」と伝えたが、9月に米紙「ザ・ニューヨーク・ポスト」が、スタローンが訪れたナイトクラブにアーノルドの写真が飾られているのを見つけ、クラブのオーナーに「処分しろ。さもないと俺は二度とここには来ない」と脅したと報道。同年12月に公開された『ツインズ』には、アーノルドが『ランボー』のポスターを見て、「俺のほうが上腕二頭筋がある」と笑うシーンがあり、また始まったと世間はニヤニヤした。対するスタローンは89年の『デッドフォール』で、アーノルドに似た役者を登場させ、「お前の『コナン・ザ・グレート』(アーノルド主演の映画)よかったな」と言った直後に痛めつけるというシーンを撮影している。