カルチャー
[サイジョの本棚]

谷崎潤一郎「女の王国」、岡本かの子「3人の男奴隷」文豪の私生活スキャンダルを読む3冊

2017/08/06 21:00

『諧調は偽りなり(上・下)』(岩波現代文庫/著: 瀬戸内寂聴)

 最後に紹介するのは、『かの子』と同じ作者になってしまうが、瀬戸内寂聴氏による評伝小説『諧調は偽りなり(上・下)』。谷崎と1歳違いで、思想家として活動し、アナキストを貫いて惨殺された大杉栄と、その最後の妻となり、大杉と共に殺された伊藤野枝の後半生を描いた作品だ。

 伊藤野枝は、女性の手で作られた雑誌「青鞜」の編集部員(後に編集長となる)として活動する中で、大杉と出会う。大杉に惹かれた野枝は、衝動のままに夫と幼い息子を捨て彼の元に身を寄せる。その一連の流れだけでも当時のメディアを軽く騒がせたが、大杉と野枝が広く世間に知られたきっかけは、主に「日蔭茶屋事件」と呼ばれる不倫刃傷沙汰だろう。

 大杉は、恋愛流儀として「フリーラブ(特定の恋人をつくらず、それぞれが経済的に独立し、複数と平等に付き合うことを許容し合う関係)」を提唱し、実践した結果、野枝も含めた四角関係に陥り、野枝に嫉妬した愛人・神近市子に刺されている。そもそも「フリーラブ」を提唱している大杉が既婚者であるうえに、大杉も野枝も、大杉を刺した神近の稼ぎに頼って生きていた。おそらく、一般に広く「バカみたい」と思われただろうことは想像に難くない。

 この事件に翻弄されつつ、結局、大杉と野枝は事実婚関係を結び、5人の子どもが生まれ、大杉は勉強のために渡欧したものの活動前に投獄され、帰国後は政府に目を付けられながら活動し、野枝と共に殺される――という激動の4年間を濃く描いた本作。2人の前半生を書いた前作『美は乱調にあり』(同)の続編ではあるが、前作を経ていなくても、問題なく読むことができる。

 2人の生き方も思想もここでは省くが、個人的には全肯定できるものではない。しかし、思想の是非と人の好悪が一致するとは限らない。政府から危険人物とみなされた2人だが、どちらにも人懐こいところがあり、監視役としてついてくる憲兵に荷物を持ってもらったり、ちょっとした買い物を頼んだりできるような関係を築くようになる。本作には、彼らの愚かなところも容赦なく収められているが、憲兵もついほだされるほどの不思議な魅力も、全編にちりばめられている。思想には否定の立場を取っていても、実際の彼らを目の前にしたら、好意を持ってしまうかもしれない。自然とそう思わせる、彼らの引力が伝わってくる。

 大杉栄享年38歳、伊藤野枝享年28歳。2人は関東大震災の混乱に乗じて惨殺された。大杉の葬儀には、思想上は対立する立場の人々も多く参列し、彼の死を悼んだ。野枝の前夫は、「野枝さんにどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛している」と追悼文を送った。「畳の上では死ねないだろう」という覚悟の上で生きた2人に、「子どもがいるのに無責任」という言葉も響かなかっただろう。それでも子どもたちはそれぞれ、親の生涯から、自分勝手に生きる代償も、信じた道に殉じる気韻も受け継いで生きたように見える。

 伊藤野枝と大杉栄も、谷崎潤一郎も、岡本かの子も、現代で同じ生活を送ったとすれば、当時と同じように、もしくはそれ以上に批判や揶揄を受けることになるだろう。時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、その当時にあって冷蔵庫やソファベッドも使うような谷崎の義妹・重子は一見私たちと地続きで、ひどく遠いとは思えない。

 清くない、正しくない、筋が通らないところを踏まえても、たぶん犯罪を犯さない限りは「どれだけ人に迷惑をかけたか」「どれだけ間違ったか」より、「どれだけ人に愛されたか」「何を創造したか」の方が世に残って、時に後世の人を助けることすらある。芸術家でなくても、そんな法則を知っておくことは、おそらく他人への視線を寛容にし、引いては自分自身の生き方を楽にするはずだ。
(保田夏子)

最終更新:2017/08/06 21:00
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