サイゾーウーマンコラム仁科友里「女のための有名人深読み週報」仁支川峰子に見る“恩を施す”人の落とし穴 コラム 仁科友里の「女のためのテレビ深読み週報」 「はるな愛に裏切られた」と激怒――女優・仁支川峰子に見る“恩を施す”人の落とし穴 2017/04/06 21:00 女のためのテレビ深読み週報 義理人情を重んじる日本では、恩義は受けたら返すことが正しいとされていて、返さない人は“裏切り者”扱いされる。しかし、私がここで思い出すのは、知人のムスリムに聞いたイスラム教の「ザカートとサダカ」という制度である。「ザカート」は豊かな人が義務として行う納税で、その税金が貧しい人へ寄付として渡るという。また「サダカ」は、ご近所や親類など、よく顔を合わせる仲間が困窮した時にする寄付を指す。 どちらも、豊かな人が困っている人に“与えている”わけだから、関係性としては、困っている人が豊かな人に頭を下げると思われがちだが、知人のムスリムいわく、むしろ威張っているのは寄付を受ける側なのだという。「寄付する方は、善行をしていい気持ちになり、さらに徳を積めるのだから、むしろトクをしている」と考えるかららしいが、この考え方は、仁支川とはるなにもあてはまるのではないだろうか。はるなが一時、困窮していたのは事実だろう。しかし、仁支川の家まで行って手料理を食べたかったか、旅行に連れていってほしいとまで考えていたかというと疑問である。はるなの面倒を見ることで満たされていたのは、実は仁支川の方に思えてならないのだ。 さらに芸能界が、“長い物に巻かれた方が勝ち”という世界であることを考えると、はるなが仁支川に返礼したとしても、メリットが少ないので、連絡を取らないようになったのも致し方ないのではないだろうか。テレビにたくさん出ている中山と、ほとんど見ることがない仁支川。どちらを“恩人”にすれば、自分のテレビ仕事が増えるのかは、子どもでもわかることだろう。 一般人の世界でも「あれだけしてやったのに」「裏切られた」という話は聞くが、感謝というものは“行為”から生まれるものではないと私は思っている。何をするかより、誰がするか。裏切られたと嘆くことは、「自分が小者だと思われていることに気づかなかった」と同義なのではないだろうか。 前のページ12 最終更新:2017/04/20 21:05 Amazon えぇねんで 仁支川峰子のこと、もはやウザかったんだと思う…… 関連記事 小倉優子、シングルママタレとしての今後に生かすべき“理屈っぽい女”の一面渡辺直美、“肥満”を武器にする芸風に「女の生きづらさ」を感じてしまうワケ三遊亭円楽“不倫謝罪会見”の最も気持ち悪かった点――「度量の広い妻」賛美への疑問武田修宏、紫吹淳、西川史子――“モテ期”で自意識が停止した、四十路のズレてる恋愛トーク小保方晴子の“白いワンピース”に感じた才能――「第二の瀬戸内寂聴になれる」発言の行方 次の記事 「日テレの問題児アナ」3人は今 >