“東京”と自分の距離感――長谷川町蔵×山内マリコが話す「東京女子の生きざま」
■「東京」は歴史の浅い、新しい街
イベント後半では、長谷川氏により東京の歴史が紹介された。まず「江戸」の範囲はどこまでだったのかが紹介され、環状になっている大江戸線の範囲までがおおむね「江戸」になり、今の23区よりもかなり狭いことがわかる。このエリアが明治になり「東京市」となり、ほかは「郡」として子分扱いだったという。
街としての「東京」が完成するのは1936年と案外新しく、「1860年に南北戦争が起きたアメリカと違い東京は歴史があるというが、そうではない」と長谷川氏。因習が息づく古都京都と違い、東京は新しい街なのだ。
文化の面から東京を見ていくと、小説『武蔵野』で都会から離れたカントリーライフを提言した国木田独歩が、その「カントリーライフ」を送っていたのは渋谷だったという。また、島崎藤村は『破戒』を書いた際に、夏目漱石から「あそこまで田舎で書くとは、よほどの気合だ」と感心されたそうだが、その「田舎」がどこかと言えば、今の歌舞伎町だ。戦前、戦後の昭和カルチャーまでの担い手の中心は中央区、墨田区、台東区といった東京の東側の下町出身者であり、「下町エスタブリッシュメント」が存在していたという。なお、現在の下町エスタブリッシュメントを体現する存在として長谷川氏は“なぎら健壱氏”を挙げる。なぎら氏は「アタシ」が一人称であり、一方、足立区出身のビートたけし氏の一人称は「オイラ」だ。
なお、ハイソさを感じさせる「山の手」は“第一山の手”エリアから“第四山の手”エリアまであり、オリジナルである第一山の手が文京区。第二山の手が芝、麻布、赤坂という、今のセレブが暮らす街としてのイメージが強いが、街としての歴史は案外浅い。なお、第三山の手は世田谷、太田、杉並と、従来の「江戸」から西、南方面に拡張したものになり、第四山の手になると三多摩地区に川崎、横浜内陸部、湘南、千葉、埼玉も含めた広大なものになるのだそうだ。
しかし、山の手の言葉で想起されるような「会社員の父親と専業主婦の母親、郊外(第三、第四山の手)に戸建住居があり、犬を飼っていて」というようなライフスタイルを送る人は、今は少ないと長谷川氏。現在、羽振りのいいサラリーマンは郊外の戸建よりも都心に近い豊洲や二子玉川などのタワーマンションを選びがちだ。
■身の丈に合った“東京”で暮らす
イベント終盤、「女子が選んだ住みたい街ランキング」を参照しながら「初上京で18歳の人が暮らすには、どの街がいいか」というテーマに話が展開した。山内氏は「西荻窪」を挙げ、自身が上京した際に最初に暮らしたのは西荻窪の隣で、人気の街ランキングでもよく上位になる吉祥寺だが、「大学で大阪に出て、その後京都で暮らしてからの吉祥寺だったために、フーンという感じだったものの、18歳でいきなり吉祥寺に暮らしたら、街が大きすぎて4年で(地元に)戻っていたかもしれない」と話す。
一方の長谷川氏が推すのは「町田」だ。40分あればたいていの盛り場に行けるアクセスのよさと、人口40万人(富山市と大体同じ)という街のサイズ感を挙げる。「すごく地方から、いきなり東京の23区など都会に出てしまうとおかしくなりかねない」とのことで、両氏ともに初上京においては「街のサイズのほどよさ、無理のなさ」を挙げていたのが印象的だった。
山内氏は、西荻窪で暮らし、千葉に移住した現代美術家・会田誠氏の、「最初は西荻が恋しかったものの、千葉は故郷に似ていた」というエピソードを紹介。「身の丈にあった怖くない東京から暮らしを始めていって、いずれ故郷に似た街へと戻っていくのではないか」と話した。
故郷や、故郷のような街では暮らしたくないと、それが原動力になって東京に出てくる人もいるだろう。選択肢の多い都市・東京で暮らす人が、「どこの出身で、いまどの街を選んで暮らしているのか」は、その人を知るにおいて想像以上に大きなヒントなのだと感じたイベントだった。
石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。いとしろ堂