「ヤッたからって恋人とは限らない」メンヘラの“ヤリマンアイドル”にとって、セックスする意味とは?
■親戚からのひどい仕打ち
実はその性へのネガティブな意識は、幼児期にまでさかのぼる。
「幼稚園に上がる前くらいの時に、高校生の従兄弟にオナニーの相手させられた。昼寝して起きたら、私のパンツを下ろして、太ももにこすりつけて素股みたいなことやってて、ハアハア言って……。そのまま精子をぶっかけられた」
親戚からも、幼少期から性の対象としてばかり見られていたのだ。
「“これはママに言っちゃいけない”ってことは、なんとなくわかってた。私、なんか変なことしゃべったらいけないから、家族とか親戚で集まっても、あんまりしゃべらなくなったんですよ。みんな楽しくしてても 、“あのお兄ちゃん、私にエッチなことしたよね”と思ってたし……とにかく嫌でしたね、親戚といるのは」
どこでも公言できないまま、異常な性体験だけを重ねていった10代だった。高校を出て函館の専門学校に通うようになって、家族関係のストレスはなくなったと思われたが、姉の早世で帰省した彼女に、容赦なくそれは襲いかかった。
「姉は脳腫瘍で倒れて3カ月くらいで死んだんだけど、葬式終わった後、ご飯食べたりする席で、従姉妹が“っていうか、なんでいるの? お姉ちゃんは子どももいるし生きていなきゃダメな人だったけど、アンタはいてもいなくても変わんないんだから、アンタが病気になって死ねばよかったんだよ”って言いだして。そしたらウチのママも泣きながら“そうなのよねえ”って言いだして……。いい大人がみんなそんな感じになっちゃって、“もうこんなところ一生関わりたくない”って思って、急遽その夜に飛行機とって帰って、その人たちとは一生バイバイですよね」
■東京へ出て風俗嬢に
彼女は、函館の五稜郭前の交差点で援交相手と出会いまくっていた最中にも、セックスによって東京へ出る段取りをつけていた。
「高校3年生くらいから、ツーショットダイヤルで知り合った東京の人と、遠距離恋愛みたいな感じで付き合ってることにして、全然好きじゃなかったけど、“東京に出るための口実”を、その時点から作ってたんですよ。その人をキープしながら援交でお金をためて、東京に行く資金にしようって」
もはや何かの復讐劇のような壮絶な話だが、彼女は必死にセックスをして、北海道を出たのだった。
「家は“東京に出てきたら同棲しよう”って、その人が用意してくれました。申し訳ないですけど、その人のことはまったく好きじゃなくて、1年くらいで別れました……ひどいですよね」
上京した彼女はカフェの店員 になって働いたものの、半年ほどで辞めてしまう。風俗嬢になったのだ。風俗も、感覚的には援交と変わらないということだろうか?
「変わらないです。それよりもよかったのは、自分で獲物探さないでも、待ってればお金持ってる人が来るし、援交なら帰るタイミングわからないんでドライブ付き合ったりしてたんですけど、風俗は60分、90分とかで帰るんで、“なんていい仕事なんだ!”って思いましたね。人と深い話しなくていいし、嘘の名前で働けるし」
なし崩しで始めたような風俗の仕事も、実は昔からの予定通りだった。
「東京に風俗の仕事があるって知って、“早くしたい”って思ってたんです。田舎の嫌なのって、横のしがらみだらけ。東京に出てしまえば、人殺した人もいるだろうし、もっと育ちが悪い人もいるだろうし、そういうところに出れば紛れるかなって思って……」
世の中には、プロ野球選手に憧れる少年がいるように、風俗嬢に憧れる少女もいるのだ。
「風俗は、朝から夕方までの昼番でやってたので、彼氏にはカフェで働いてるふりをしてました。でもだんだん気付いていったっぽいんです。おごったり、プレゼントあげたりしてたから、お金持ってるってわかってたと思うし。彼氏もママみたいになってきて、“今月、車の支払いキツいなー”とか言ってくるんですよ。それで、私は困ってるの見るのに弱いから、“今月貸す?”“いいの?”みたいになって。だんだん関係性が変わっていくんですよね」
たまたまの巡り合わせなのか、彼女が周囲をそうさせているのか、どこまでいっても、お金とセックスが基盤になった人間関係なのである。そんな彼とも別れ、歌舞伎町のソープランドに転職した23歳頃、彼女に初めてのまともな彼氏ができる。
(文・写真=福田光睦/Modern Freaks Inc.代表/Twitterアカウント:@mitutika)
(後編に続く)