片岡愛之助と藤原紀香は“似た者同士”――結婚式を通して見えた「センスと自意識」の共通点
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の芸能人>
「全てオリジナルのものを作らせていただきました」片岡愛之助
(結婚記者会見、9月28日)
1人脳内ロイヤル・ウエディング、ここに極まれり。
かねてより、私は「藤原紀香、脳内皇族説」を唱えているが、歌舞伎俳優・片岡愛之助との挙式での振る舞いやブログの記述を、「紀香、脳内皇族説」的観点から見ると、ますます「私ってロイヤル」な自意識が感じられるような気がしてならない。
まず、紀香は婚約会見以来、「目を細めて微笑む」ようになったが、これは紀子さまの微笑みとよく似ている。また皇族方は、一般人における結婚式を「結婚の儀」と呼ぶが、紀香は披露宴のことを、なぜか「披露の儀」と呼んでいる。もうロイヤルが止まらないようである。
紀香はオフィシャルブログで、自分と愛之助を「80億人の中から選ばれた出逢い」と“花嫁ハイ”丸出しの文章をつづってネット民から失笑を買ったが、結婚後の報道を見ていると、確かにこの夫婦には似通っている部分がある。それは、周囲からちょっと浮いているところだ。
例えば紀香の場合、婚約会見の際に着ていた、誕生花であるダイヤモンドリリーとカサブランカをあしらったオーダーの訪問着が、服飾専門家や梨園筋から「梨園の妻としてふさわしくない」と酷評を浴びた。
ここで思い出すのが、ほかの梨園妻のことである。成駒屋に嫁いだ三田寛子、中村屋に嫁いだ前田愛は、それぞれ義姉、義母の“おさがり”の訪問着、成田屋に嫁いだ小林麻央は、後援会からのプレゼントの振袖で会見に臨んだ。現代女性の感覚から言うと、「古いものを押し付けられた」と思うかもしれないが、伝統の世界に関していうのなら、これは“愛されている証拠”である。
家に代々あるもの、後援会からのプレゼントということは、嫁としてふさわしい人物というお墨付きを得たことと一緒だし、周囲もケチをつけにくい。紀香の嫁ぎ先、松嶋屋は上方歌舞伎の名門で、舅姑も健在である。ノリノリで着物を作ることが、いかに恥ずかしいかを注意してくれそうなオトナはたくさんいるだろう。忠告を無視したのかもしれないが、結果として紀香は片岡家に歓迎されていない印象を世間に与えたのである。
愛之助も、そんな紀香に似ている。「女性自身」によると、披露宴の最後に、愛之助は「本来なら父が挨拶するところですが」と断りをいれて自分が挨拶をしたという。大人同士の結婚なので、親が口を挟む必要はないと思ったのかもしれないが、婚約会見の着物の件と合わせて考えると、親子の仲があまりしっくりいっていない、もしくは孤立しているように感じられるのだ。