HKT48・指原莉乃は、本当に「友達がいない」のか? 自虐発言ににじみ出る“生臭い野心”
指原は「友達がいない」と言うが、気兼ねなく誘えるメンバーとして「峯岸みなみ、柏木由紀、AKBの社長」といったAKB関係者と、「シソンヌの長谷川忍」の名前を挙げた。AKBの社長はさておき、一般的には同じ業界で仕事をしていて、気兼ねのいらない関係であれば“友達”と呼ぶと思うが、指原は「友達がいない」と言い張る。名前を挙げられた面々が、指原を“友達”と思っていたら失礼な話だが、指原の言う「友達がいない」とは「友達かもしれないけど、いろんな意味で満足していません」という“上昇志向”“野心”の別表現ではないだろうか。
指原は「友達がいない」エピソードの1つとして、同番組共演者のフットボールアワー・後藤輝基を飲みに誘ったのに、断られたことを挙げた。もう1人の共演者であるチュートリアル・徳井義実を誘わないところに、私は指原の“野心”を感じる。なぜなら、徳井より後藤の方がキー局のMC番組数が多く、徳井より後藤と親しくなっておく方が、指原にとってメリットが多いことは明らかだからだ。
実際に交流があるメンバーは無視して、“友達”の新規獲得に励む指原。その“友達”の条件とは「自分よりポジションが上」「業界でチカラがあるかどうか」なのではないだろうか。指原は、柴田とは「友達になりたくない」と発言していたが、友達がほしいと言いつつも、相手が自分にふさわしいか冷静に吟味しているように見える。
かつて、指原は同番組で自分のウリを「オレにも手が届くと思わせること」と語っていた。指原が自虐を多用するのも「たいした存在ではないので、あなたにもチャンスがある」と思わせるためだろう。この「手が届く」作戦と「友達がいない」アピールは地続きであり、男性に「友達にたくさん囲まれたリア充には気後れしてしまうが、友達がいないひとりぼっちの子であれば、自分が優位に立てる」と錯覚を起こさせやすいのではないか。
指原に本当に「友達がいない」とは思わないが、“野心”が強すぎる人は、どんな友達を持っても、結局は満たされないと思う。かつて松田聖子も「芸能界に友達がいない」ことを公言しているアイドルであったが(唯一の例外は、モト冬樹だそうだ)、その代わり、奔放な恋愛遍歴で知られていて、ウワサになった芸能人は数知れず、現在の結婚も3回めである。
トップアイドルがトップで居続けるために必要なのは“友情”ではなく、“恋愛”ではないだろうか。おニャン子クラブの高井麻巳子が、秋元康と結婚して芸能界を引退したのは22歳。23歳の指原も、それくらいのビッグネームとの熱愛(と破局)を経験して、アイドルとしてのマンネリを打破していい頃のように思う。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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