理性的に生きてきた中年男女が、恋愛の業に翻弄される姿を描いた『マチネの終わりに』
――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン(サイ女)読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します!
■『マチネの終わりに』(平野啓一郎、毎日新聞出版)
『マチネの終わりに』は、正統派の恋愛小説です。というと、「私の趣味ではない」と判断する方もいると思います。映画でもドラマでも「女性向けの正統派の恋愛モノ」とされる作品には、夢があふれすぎていて、かえって苦手意識を持っている女性は意外と多いのではないでしょうか。本作も、一見するとそんな作品に見えるかもしれませんが、「正統派の恋愛ものが苦手」という人にも手に取ってみてほしい1冊です。
若き天才ともてはやされつつも、スランプに陥り、焦りを感じているクラシックギタリストの蒔野聡史(38)と、海外通信社の記者として紛争地域を積極的に取材しつつ、近く結婚を控えていた小峰洋子(40)。パリの演奏会で出会った時から強く惹かれ合った2人は、一度は結ばれかけるものの、すれ違いが生じ、ついにその関係は途絶えてしまいますが――。
世界を舞台に活躍する美男美女が主役に据えられた上に、もう少し、というところですれ違ってしまうじれったい展開。一歩間違えると、かえって安っぽくなってしまうシチュエーションがストレスなく読めるのは、男性も女性も、ストーリーのための都合の良い存在になっていないから。派手な肩書は主人公に華を添えるためのメッキではなく、本作のいくつかのテーマと絡み合う、大切な役割を果たしています。
中年の恋愛であれば、どちらにも仕事があり、この先をどう生きていくかを考えているのも自然なこと。優れた才能を生かし、理性的に人生に向き合ってきた2人だからこそ、イレギュラーな要素として湧いてきた恋愛が際立ち、たった数回の逢瀬が、2人やその周囲の人生を狂わせてしまう恋愛の業が浮かび上がってきます。
紆余曲折の末に2人が選ぶ(であろう)道が正しいのかどうか、読者によって、その解釈は違うかもしれません。「誤った道は必ず行き止まり、正しい道へと引き返さざるを得ない迷宮よりも、むしろ、どの道を選ぼうとも行き止まりはなく、それはそれとして異なる出口が準備されている迷宮の方が、はるかに残酷なのだ」という洋子の独白は、恋愛に限らず、本作で提示されるテーマの1つのように見えます。
終盤、洋子は父と語り合い、自分に向けられたある思いを初めて聞かされることで、「正しい選択」が、相手に伝わることで初めて「正しくなる」可能性に気づかされます。生きている限り、正しい道なのか誤った道なのかはわからない。それでも彼らなりの「正しい道」を選んだ2人の道の先に、幸福が待っていることを、読者としては願ってしまうのです。