「理解ある親」と思われたい症候群? 平野レミの「婦人公論」インタビューに滲み出る恐さ
今号の「婦人公論」(中央公論新社)、特集は「親の本音をどう伝える」です。自分は「老親の面倒を見るのが当然」という価値観で生きてきたものの、子どもには「面倒をかけたくない」と思うのが、今の「婦人公論」世代。読者アンケート「うるさがられるのはイヤ。理解があると思われたくて」は、そういったねじれた感覚であふれています。「何でも自分たちでやってほしいけれど、理解ある親だと思われたくて」(55歳・事務/息子32歳)、「『お母さん、一人になったらオシャレな老人ホームに入ればいいね』と言われ、ショックだった。オシャレも糞もない」(65歳・販売業/娘36歳、33歳、30歳)。早く結婚して、孫の世話を押し付けないで、でもたまには会わせて、老後の面倒を見て……その言葉をグッと飲み込んでまで、一体誰に「理解がある」と思われたいのでしょう?
<トピックス>
◎特集 親の本音をどう伝える
◎胸にくすぶるこの思い、どうすればわかってもらえますか?
◎平野レミインタビュー「大変なお嫁さんが来てもお料理好きなら大丈夫」
■「理解がある母親でいたい」願望
子どもへの要求をグッと飲み込んだつもりでも、実際は消化不良を起こしかけているということがよくわかるのが、「胸にくすぶるこの思い、どうすればわかってもらえますか?」。こちらは、作家の久田恵、ねじめ正一、精神科医の名越康文が読者の悩みに答えるというもの。
モヤモヤその1は、59歳主婦からの「私の還暦を祝ってほしい」。周囲の友人たちは子どもたちと旅行に行ったとか、高級レストランで祝ってもらったとか……ところが自分は毎年の誕生日プレゼントさえもらったことはないと嘆きます。「それとなく気づいてもらうにはどうすれば?」というお悩みに、「子どもの無関心はいい親である証し」(久田)、「深刻に捉えないで、明るくアピール」(名越)、「祝ってもらうよりがんばる姿を喜んで」(ねじめ)など識者からはもっともな回答が寄せられていますが、おそらくこの女性からしたら「違う違うそうじゃない」なのではないでしょうか。人生の全てをかけて子育てしてきたご褒美がほしい。それを自分から要求したら意味がないんですよ。
モヤモヤその2は「娘たちに早く結婚してほしい」という61歳の女性。37歳実家暮らし、稼ぎはみんなアイドルにつぎ込む長女と、30歳フリーターで10年近く彼氏と同棲しているものの進展なしの次女。こちらの女性「(早く結婚するように)はっきり言ったほうがよいものでしょうか」と悩んでいるのに、「新年に家族で集まった時には、娘たちの同級生の親御さんから届く『結婚(出産)報告年賀状』を見せて話題をふっている」と、完全に踏んではいけない地雷を、無自覚踏みまくっています。自分の中にある理想の子育てストーリー。愛情をこめて育てた子どもが、巣立ち、また新しい家族を作って戻ってくる……そこからどんどん乖離していく現実に焦りと不安が垣間見えます。
「ただただ子どもたちの幸せを願う」という気持ちと、「幸せそうな友人たちに比べると自分が惨めに感じる」という気持ちがせめぎ合っているのがよくわかった、こちらの企画。そして「理解があると思われたい」誰かとは、ほかならぬ自分自身なんだろうなということも。過剰なまでの「親の役割」意識と、「親の悦び」への淡い期待……「親」であることを若干持て余し気味なのが、この世代なのかもしれません。幸せの軸が自分ではなく家族や子どもにあるから、ままならない現実に悶々としてしまう。稼ぎをアイドルにぶっこむ娘のように、自分主体で「幸せ」を感じるなにかを手に入れられればいいのでしょうが。