少年Aも小保方晴子も、アラサーちゃんもタラレバ娘も 自分語りが好きな「名前のない世代」
「『バブル世代』は見栄っ張り」「『ゆとり』は使えない」など、いつの時代でも居酒屋や職場などでトピックになる“世代論”。団塊、しらけ、新人類、バブル、ロスジェネ(団塊ジュニア)、ゆとり、さとり、脱ゆとりなど、世代ごとに私たちは“きちんと”社会から名付けられ、定義されてきた。多くの人たちが自分の属する世代を良くも悪くも自覚してきたことだろう。しかし、社会から名前をもらえなかった世代がある。1970年代生まれの「ロスジェネ世代」と1987年以降に生まれた「ゆとり」の狭間の世代、81~86年生まれの人たちだ。一時は“キレる17歳”と揶揄された彼ら。少年A、ネオむぎ茶、加藤智大、片山祐輔、小保方晴子など、世間を騒がせてきた特異な人物がいるにもかかわらず、名前がない世代とは――。
今月発売された『1982 名前のない世代』(宝島社)は、この30余年にわたる社会情勢や事件などを考察し、名前のない世代の輪郭を浮き上がらせようと試みたノンフィクションだ。著者の佐藤喬氏は83年生まれ。気鋭の若手論客・古谷経衡氏(82年生まれ)との“名前のない世代”対談、スタート!
■「キレる17歳」と呼ばれた世代
佐藤喬氏(以下、佐藤) 初めまして。同じ世代で活躍している古谷さんとは、ずっとお話ししてみたいと思っていたんです。
古谷経衡氏(以下、古谷) ありがとうございます。『1982』を読ませていただきましたが、とても面白かったです。自分の半生を振り返る、きっかけにもなりました。
佐藤 僕は、この本はいつか誰かが書くだろうとずっと思っていたんです。97年、14歳にして2人の子どもを殺害した酒鬼薔薇聖斗、続いて98年、栃木県の黒磯の中学校で女性教師をバタフライナイフで殺害した13歳の男子生徒、2000年、「人を殺してみたかった」と愛知県豊川市の主婦を殺害した17歳の高校生、その2日後に西日本鉄道の高速バスをハイジャックして牛刀で3人を殺傷した17歳の“ネオむぎ茶”……。この頃にはさすがに「キレる17歳」と世代名が与えられましたが、その後もこの世代は、組織的な輪姦を起こした早稲田大学のインカレサークル・スーパーフリー(03年)、秋葉原にトラックで突っ込み7名を殺害した加藤智大(08年)、PC遠隔操作事件の片山祐輔(12年)、STAP細胞騒動の小保方晴子(14年)など、世間を騒がせてきました。
古谷 しかも昨年には少年Aの『絶歌』(太田出版)が出版され、騒動になりましたしね。誤解を恐れずに言うと、確かにキャッチーですね。統計的に、この世代に有意に犯罪者が多いとはいえないと思いますが、それにしても目立ちますね。
■僕たちは、たくさんの「死」を見てきた
佐藤 この世代は、強引にロスジェネ世代にカテゴライズできなくもないのですが、ロスジェネ世代は1970年代生まれの人たち。かといって、僕たちは、その次のゆとり世代でもない。
古谷 ゆとり教育ではなかったですもんね。台形の面積の求め方も、円周率3.14もありましたから。土曜日も完全週休二日ではなくて、隔週でしたね。ゆとり世代への過渡期ではあるが、かといって、ゆとりではないという位置づけです。
佐藤 古谷さんは、世代論への反発はあります?
古谷 大きくくくられることは嫌でした。思春期の多感な時期に、親戚に「キレる17歳って怖いわねぇ」と言われ、「勝手に決めつけないでくれ」と思った記憶があります。でも、尾崎豊のような暴力的な反発ではなく、中途半端な怒りと中途半端な冷静さを持っていた。とてもチグハグな感じでしたね。
佐藤 殺人事件が起こると、生い立ちや家族構成、ゲームや本やテレビなどが殺人の原因になっていないか、メディアがこぞって推察しますよね。
古谷 「週刊少年ジャンプ」(集英社)が600万部以上発行されていた黄金期は90年代前半。僕たちは小学生で、バトルマンガの主人公になりきって遊ぶ男子も多かった。友人は『幽☆遊☆白書』の浦飯幽助の「霊丸」のマネをしていました。あるいは『スラムダンク』の桜木花道が与えた影響は計り知れません。少年バスケ部が隆盛しました。恥ずかしながら、僕も一時期は入部しました(笑)。『ドラゴンボール』の「ギニュー特戦隊」や「スカウター」も男子の間ではやりました。カッコイイと思えば、自分もなりきってやってみたいと思うもの。今思えば、攻撃性や暴力性の一因にはなっていたのかもしれません。実際に当時、特に『ドラゴンボール』に対しては、少なからずそういう批判はあった。ただし、それが実際の凶行につながったということはあり得ないと思います
佐藤 マンガやアニメが犯罪の原因になったと断言はできない、ということだけはハッキリ言っておきたいと思います。データを見ても、実際に犯罪が増えた世代でもない。ただ、明らかな事実として、僕たちの世代は、たくさんの死を見てきました。マンガやアニメでは、あっという間に人が大勢死にます。殺人事件で死というものを知るだけではなく、湾岸戦争(91年)、阪神・淡路大震災(95年)、アメリカ同時多発テロ(01年)、東日本大震災(11年)など、戦争や災害の報道の裏側で多くの人たちが死んでいることを、僕たちは幼少期から知っていました。
古谷 確かに、実感を伴わない“遠い死”が、身近にたくさんあった気がします。