サイゾーウーマンコラム「上野小2殺害事件」の小6加害少女 コラム [連載]悪女の履歴書 小6少女はなぜ殺めた? 昭和54年「上野小2殺害事件」から見る少年犯罪 2016/05/03 19:00 悪女の履歴書 ◎生後2カ月から母親と別居 そこで注目されたのが生い立ちだった。確かにA子の生い立ちは決して幸福とは言えないものだった。 A子が産まれる前に両親は離婚し、引き取った当時34歳の母親は経済的苦境に立たされていた。そのため、母親は千葉で農家をしていた知り合いの老夫婦にA子を預け、自身は千葉市内のモーテル(今で言うラブホテル)に住み込みで働き始める。それはA子が生後2カ月のことだった。老夫婦はA子を可愛がり溺愛したというが、しかし老夫婦の生活も楽ではなかった。そのため5歳になったA子は、当時、母親が働いていた別のモーテルで掃除婦として働いていた女性の家に引き取られることになる。 月3万円ほどの養育費を支払ったという母親だが、ここでもA子は可愛がられた。この一家は夫婦と息子と娘もいたが、年も離れていたため“小さな妹”としてA子は受け入れられ、当初は食事にも手を出さなかったが、すぐに養母父を“お母さん、お父さん”と呼び慕うようになったという。 A子は成長するに従い、本当に養母を実の母だと思っていたようで、小学校に上がった際に「なぜ自分と苗字が違うのか」という疑問を何度も口にしたという。そのため養父母はA子を養子にしたいと母親に申し出たほどだが、それを母親は拒否している。母親もまた定期的にA子に会いに行くなど、自分で引き取ることを切望していたからだ。そしてA子に実の母親が自分だと打ち明けたが、この際A子は「母親が2人もいる」と喜んでいたという。 そして昭和53年、養父が肝臓がんのため死亡したのをきっかけに、A子は母親に引き取られ、2人の生活が始まった。事件から1年8カ月ほど前のことだ。 (後編につづく) 前のページ123 最終更新:2019/05/21 18:51 Amazon 『実母と養母』 生育環境が人と違うのは悪いこと? 関連記事 「佐世保小6女児同級生殺害事件」で隠された、加害者少女の“もう1つ”の特性とは11歳少女はなぜ友人を殺めた? 「佐世保小6女児同級生殺害事件」と少年犯罪の現在ママ友の子どもを殺めた“ママ”の実像――「音羽幼児殺害事件」から現代へ“お受験殺人”の名で隠された、「音羽幼児殺人事件」“ママの世界”の本質20歳シングルマザーの貧困と孤立、“虐待の連鎖”が浮かび上がる「大阪2児放置・餓死事件」 次の記事 KAT-TUN、“充電活動”突入 >