小6少女はなぜ殺めた? 昭和54年「上野小2殺害事件」から見る少年犯罪
◎「悪口を言われたから懲らしめようと」
昭和54年10月11日午後4時20分、上野駅に近い台東区の小学校に通う安倍葉子ちゃん(7歳、仮名)は週に一度通っていた書道塾から、友人3人と帰路についた。しかし中学教師の母親が夕方に帰宅したところ、葉子ちゃんの姿がない。夜になり公務員の父親も帰宅しても帰らないため、午後8時半に両親は上野署に捜索願を出す。近所の自治体メンバーや学校関係者も付近を探し回るが、しかし葉子ちゃんは一向に見つからない。そして3時間ほどたった午後11時過ぎ、葉子ちゃんは自宅近くの13階建てマンション下の隙間に遺体となって発見された。しかも両手を縛られ、口も手ぬぐいで塞がれた形跡があり、血まみれの姿だった。
警察はただちに殺人事件として捜査を開始するが、直後に浮上したのが葉子ちゃんと一緒に書道塾から帰り、遺体が発見されたマンションに住む小4の少女A子(10歳)だった。
A子は葉子ちゃんが発見される1時間ほど前、母親と葉子ちゃんの自宅を訪ねて道端に落ちていたというすずり箱を届けている。そして「葉子ちゃんは白い車に乗せられて誘拐された」との目撃情報を口にしていた。
そのため葉子ちゃんの遺体発見後、警察はA子に話を聞くが、その供述は二転三転する。
葉子ちゃんとマンション前で別れたと言ったり、マンションの前で白い車の男に声をかけられた、男に連れ去られたのをマンション8階の部屋から見たなどと話す。しかし部屋からはマンション前の通りは見えないことを指摘されると、今度は部屋で一緒に遊んだことを話し始める。
そして表情を変えることなく。こんなことを語り出したという。
「葉子ちゃんが運動会のことで私の悪口を言ったの。『お姉ちゃん(A子)のクラスは負けてばかり』と言われ、懲らしめてやろうと屋上に連れて行って突き落とした」
A子の供述によると葉子ちゃんに「二人三脚をしよう」といって両手をタオルで縛り、目隠しをした。そしてちょっと肩を押すと屋上から落ちていったという。その方法は「テレビでドリフターズがやっていた」と語ったA子だが、該当の放映はなかったことが後に明らかになっている。
運動会のことで悪口を言われたから突き落とす。当時の報道からもその動機について疑問が呈されているが、それ以上A子に関する何らかの異変についての情報はない。A子の体力は標準以上で、知能もごく普通のレベルだったという。