小6少女はなぜ殺めた? 昭和54年「上野小2殺害事件」から見る少年犯罪
世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。
[第26回]
上野小2殺害事件
2015年に起こった「川崎中1殺害事件」は世間の大きな注目を浴びた。それは犯行の残忍さとともに、加害者が遊び仲間の未成年少年たちだったということが大きな要因の1つだろう。前回取り上げた04年の「佐世保小6女児同級生殺害事件」も同様だが、こうした少年、少女による事件が起こるたびに、その残忍さ凶悪化と共にクローズアップされるのが、少年法に対する疑問と厳罰化を求める声だ。
しかし実際には少年犯罪は年々減少し、14年は戦後最少となっている。では最多はいつだったのか。それは戦後直後ではなく昭和57、58年(1982年、83年)だ。
確かにこの年を前後して、社会で大きな注目を浴びた少年犯罪が立て続けに起こっている。昭和54年には岡山県倉敷市で小学6年の男児が顔見知りだった6歳の幼稚園児をいたずら目的でアパートの空部屋に連れ込み殺害、同年福島県いわき市で小6男児が小1男児を塀から突き落とし死亡させた。翌55年には栃木県大田原市でやはり小1男児が3歳の幼女にいたずらしようとして騒がれ、棒で殴って井戸に突き落として殺害するという事件が起こっている。また昭和52年にも福島県須賀川市で小6の男児が小2の女児を乱暴目的で絞殺し、昭和50年には鹿児島県長島で5歳と3歳と男児と2歳の幼女が、産まれたばかりの赤ちゃんを包丁でメッタ刺しするという驚くべき事件も起こっている。
そして昭和54年には中3の女生徒が悪口を言いふらしたとして同級生の女生徒を果物ナイフで刺した上、絞殺するという「佐世保小6女児同級生殺害事件」を彷彿とさせる事件も起こっている。
こうして見ると少年犯罪は決して近年になって凶悪化、低年齢化したものではないことがわかるが、しかし司法や矯正施設、そしてマスコミは当時から現在でも“心の闇”などという曖昧な言葉でこれら事件を称し、その本質にはなかなか迫り切れないでいる。
今回取り上げる「上野小2殺害事件」はそんな少年事件の1つだ。