「オナニーは女性を幸せにするべき!」SF官能作家が担う、“女のエロを解放する”という使命
森さんの著書『あたしの彼女』(徳間文庫)
――森さんの小説は「百合」「SF」そして「笑い」という三本柱で成立していますね。笑いとエロは対極にあるようにも感じます。本作も、まさかの展開に笑いました。
森 日本では「笑い」も「エロ」もさほど評価されていない分野ですよね。例えば落語や狂言などの伝統芸能になると評価されますが、一般的な「お笑い」は評価されない。お笑いというものは、人の感情を揺さぶるという点で、かなり高度なテクニックを要すると思うんです。エロもそう。江戸時代の春画だと評価されるのに、現代人が性的に消費するエロだと評価されない。そんなふうに軽視されているのが悔しい。だったら私が進んで書くよ、と(笑)。
――笑いの要素があるので、「明るいエロ」という印象があります。
森 やっぱりセックスもオナニーもハッピーなものであってほしいなと(笑)。悪い例としては、凶悪犯罪の原因のほとんどはセックスとマネーだと言われますが、性的なものが人を突き動かすパワーってすごいものがあると思うんです。だから、性によって自分や相手を幸せにすることもできるわけで。私自身は幸せな作品を書きたいと思っています。ただ、気をつけているのは、「性器を指す言葉は秘めやかに」ということ。自分自身、直截的な言葉が出ると冷めてしまうんですよね(笑)。
――森さんご本人のお話もお聞きしたいのですが、もともと昔から性的なことへの好奇心は強かったのでしょうか?
森 そうですね。小説にも「5歳からオナニーをしていた」と書いていたように(笑)。でも、当時は「こんなことをしているのは、きっと私だけだ。このことは、だれにも言ってはいけない」と思ってました。つまり、恥ずかしいという感覚はあったんです。子どもでもスッポンポンでいれば、親に「パンツはきなさい」って注意されますよね。だから、そこには触れてはいけないし、触れて気持ち良いと感じてしまう自分はおかしいのかな? という葛藤はありました。
――その葛藤は多くの女性が抱えている気がします。
森 そう言っていただけるとうれしいです。性の葛藤というと、私は、男の子を好きになること以上に、女の子を好きになることが多かったんです。性自認が女性でも男性でもないという「エックスジェンダー」という言葉があって、私自身はバイセクシャルに加えて、それかな、と感じています。
子どもの頃は、「女の子は美しく清廉で、自分とは違う存在」と感じ、憧れのようなものを抱いてました。小学校高学年になると、自分には同性愛の傾向があると自覚するわけですが。当時は世間からの抑圧というものは凄まじく、同性愛は触れてはいけない話題でした。ただ、マンガでは少年同士の美しい描写はありました。それでも、レズビアン作品はほとんどありませんでしたね。