共感ならず!? 喜多嶋舞が見誤った、「婦人公論」読者の「妻」「母」に対するこだわり
そして突然の引退宣言。インタビュー開始1ページで「私は悪くない→芸能界にいるからこんな目に→これからは妻として母として生きます→引退」と怒涛の展開を見せます。なぜ長男の親権を手放したのか、なぜ今まで沈黙していたのか、それらの疑問にも答えているようでまったく答えていないので、最後の最後までモヤがかかったようなインタビューでした。
喜多嶋の行動の善し悪しはさておき、満を持しての露出に「婦人公論」という媒体を選んだことにはしたたかさを感じます。夫婦関係を持て余した中年女性読者に対して、綿々と「かわいそうな私」を訴え、共感を得ようというのは窮地に立たされた女性タレントたちの最後の切り札。同じ「母」だから、同じ「妻」だから、わかってくれますよね……という思い。ただこのインタビューを読む限り、彼女がその「共感」を得るのは難しいのではないでしょうか。
というのも、喜多嶋が語る「母」「妻」にリアリティが感じられないのです。長男の親権が夫に移ったことも、まるで事故にでも遭ったかのように振り返る。聴覚に障害があり、心も繊細で、「大きな愛情ときめこまやかなケアが必要な」長男を育てることの大変さが少しでも書かれていて、その上で「胸を引き裂かれる思いで手放した」ならば、読者のとらえ方もだいぶ変わってくるように思うのですが。
「女性は共感の生き物」と言われがちですが、「女ならば・妻ならば・母ならば」と猫も杓子も受け入れるというわけではないのです。とくに「婦人公論」読者は、夫のモラハラに耐え、姑のイビリに耐え、ご近所の圧力に耐えてきた百戦錬磨の家庭戦士。取って付けたような「妻」「母」はすぐに見破られるでしょう。しかしながら、ほぼ引退状態にもかかわらず、「潔く芸能界を退こうと思います」とあらためて宣言する自己顕示欲に、この人は母というより芸能人なんだなぁとヘンに感心してしまいました。
(西澤千央)