『この女を見よ 本荘幽蘭と隠された近代日本』著者インタビュー

結婚、男女差、規範を軽やかに突破――女性史に埋もれた本荘幽蘭に知る、“女”の超越

2015/10/01 17:30

◎「女らしさ」を飛び越えて「自分」で生きる

――そんな風潮の中で、幽蘭はかなり好奇な目を向けられたのですね。

江刺 そもそも戸籍が確認できていないので、事実婚なのか法的な結婚なのかわかりませんが、いずれにせよ婚姻制度に縛られていなかった。1人の男性と一生を添い遂げなければいけないという社会的規範や、性に対して女性は受け身だという固定概念もありませんでしたが、相手へのリスペクトはあった。自由でありながらも、自分も相手も大事にしていた生きざまは感じられます。近代になって西洋から入ってきた一夫一婦という制度が、ベストな男女のあり方なのかどうか。現代は同性婚や結婚しないで子どもを産むとか、多様な生き方が認められてきたでしょう。そういう意味で、100年以上前に制度を軽々と超えた生き方には魅力を感じます。

 行動半径がまた、とてつもなく広い。東京にいたかと思えば大阪に現れる。熊本や鹿児島の新聞が騒ぐと、いつのまにか沖縄で舞台に立っている。朝鮮半島から満州、蒙古、インドネシア、シンガポールと東南アジアまで足を延ばしています。飛行機も新幹線もない時代ですから、当時の女性としては想像を超えた行動力です。彼女にとっては国境もない。ボーダーレスなんです。

――なぜそんなふうに超越した意識で、その時代を生きられたのでしょうか。


江刺 ボーダーレスな強さの根底を考えると、10代で意に沿わない結婚や出産をさせられ、さらに精神病院に入れられて22歳で明治女学校に入るまでに、彼女の中にあるいろいろなものが徹底的に壊されてしまった。そこから堕ちていくのは容易ですが、彼女は主体性のない人生を経たことで吹っ切れ、自分を解放したのだと思います。

――男装も解放の1つなんですね。

江刺 当時の女性が着ていた和服の着流しより袴をつける男装の方が行動しやすいということと、女として扱われることの不自由さを感じて男装したのでしょう。日本で女性がジーパンやパンタロンのようなズボン型の服装をするようになったのは、ウーマンリブを経た1970年代です。なのに100年前の彼女は、すでにやっていた。満州で男性に間違われた記録が残っているように、当時撮影された写真を見るとボロボロの衣類をまとっていて、本当に男性にしか見えません。そもそも男性にチヤホヤされることで承認欲求を満足させる人間ではないので、女性としてキレイな格好をしなくても平気だったのでしょう。

『この女を見よ: 本荘幽蘭と隠された近代日本』