[官能小説レビュー]

「セックスは恋愛の上にある」と頭でっかちな人に一石を投じる“淫道家”小説『淫府再興』

2015/08/03 19:00
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『淫府再興』(講談社)

■今回の官能小説
『淫府再興』(沢里裕二、講談社)

 若者男性のセックスや恋愛離れが久しいといわれる昨今。デートスポットの“アイコン”とされているテーマパークへ、男性のみの5~6人グループで訪れるのが珍しくなくなったという。彼らはお揃いのキャラクター帽子を被り、カップルで訪れる来場者には目もくれず、満面の笑顔で男性だけの青春を謳歌している。

 女性など必要ない、セックスなんていう行為は面倒以外の何物でもない。女性を口説いたり、相手を悦ばすために面倒なプロセスを踏まなければいけないのならば、性欲なんてオナニーで済ませればいい。女である筆者からすると、「そういう時代」と一蹴できない現状である。

 彼らをセックスから遠ざけるようになってしまった要因の1つに、セックスの高尚化があるのではないかと筆者は考えている。いわゆるトレンディドラマや月9が当たり前のように大ヒットしていた時代、セックスは恋愛の延長線上のみに存在する行為だったように思う。体を重ねる理由は、相手をより深く知り、自分を知ってもらいたいから。そんなセックス観が世に広まった結果、言葉では言い表せない愛情を伝えるための手段=セックスは、尊いものになったのではないだろうか。

もちろんそれはある意味、正しく在るべきセックスの姿だ。しかし、もっと時代を遡ると、日本には、男の働く場には遊郭が当たり前のように存在していた。そして、そうした場で遊ぶことが大人の男たちのたしなみにもなっていたのだ。今よりもっと自由にセックスを楽しみ、肌を重ねることだけに悦びを感じていた――そんな時代を彷彿とさせる官能小説と出会った。

 今回ご紹介する『淫府再興』(講談社)に登場する人物たちは、誰もが自らの性欲に対して従順で、誰の目も憚ることなくセックスを楽しんでいる。ストーリーの主軸となるのは、京都にあるとある老舗香舗の若女将・光恵。彼女の裏の顔は、千年の歴史を持つ“淫道家”の宗主だ。彼女は毎日「淫の香」を焚いて、男に見られながら自慰を繰り返す。その射るような視線を感じながら、脳裏で犯されている自分を想像するのだ。
 
 淫道家である光恵の周りには、吸い寄せられるように淫らな男女が集まってくる。中でも印象深いのは、淫道家の素質あふれる逸材・女子大生の真奈美だ。彼女は、満員電車の中で集団痴漢に遭うためにわざと短いスカートを身につけ、毎朝男たちに弄ばれている。そんな彼女に目をつけたのが、真奈美の通う女子大の教授である佐川だ。彼は彼女が根っからの淫乱だと踏み、彼女と共に京都を訪れ、仁王像の前で真奈美を“試す”のであった――。


 ラストまで息もつけぬほどのスピード感のある性描写。男たちは女を貪り、それを受け止める女たちも悦びの声を上げる。物語として面白いのはもちろんだが、筆者は本書から受け取る、著者・沢里裕二氏のセックス観に興味を持っている。

 “淫道家”という設定もさることながら、「男性が女性器の中に拳骨(グー)を挿入したのち、手を広げてパーにする」といった突飛なセックス描写などからは、性を滑稽に捉えていることがうかがえる。「セックスってバカバカしくて、楽しいよ」という、あまりにもピュアでストレートなメッセージが感じられるのだ。

 「女とは?」「セックスは恋愛の上にある」と頭でっかちな昨今の若者を、本書は軽く笑い飛ばしているようだ。男性がもっと肩の力を抜いてセックスを楽しみ、それに呼応して女もさらなる快楽を得る。正しいセックスに因われすぎている人にはオススメの1冊だ。
(いしいのりえ)

最終更新:2015/08/03 19:00
『淫府再興(講談社文庫)』
ある意味ピュアネスすぎる官能小説