介護をめぐる家族・人間模様【第56話】

「帰って来ないでくれ」鬱で苦しむ兄の言葉に、帰省をためらう妹の苦悩

2015/07/05 19:00

■兄の言葉は信じられない
 その後父親も体調を崩し、5年前に亡くなった。それから母親の体調もすぐれなくなっていったという。

「父の具合が悪くなって、私がお見舞いに通おうとしたのですが、兄は私たち家族が実家に滞在すると自分の体調が悪くなるせいか、あまりいい顔をしなかったんです。自分が父親のことは責任を持つから、という言葉を信じて、お見舞いも遠慮していました。ところが、兄は結局何もしてくれなかった。母に任せっきりで、母が家事もやりながら看病することになってしまいました。父が亡くなってからも商売はほそぼそと続けていますが、休職中の兄がほとんど家にいるので母もストレスがたまっているだろうと心配です。最近は足腰が痛いようで、家族の食事の支度をするのも大変そうです。様子を見に帰りたいのですが、兄がいるのでこちらも気を使う。帰るに帰れないんです」

 最近、母親から体調が悪くて寝込んでいると聞いた川崎さんは、たまりかねて母の様子を見に帰ることにした。

 「ところが……」と、困惑した表情で見せてくれたのは、兄からの長いメールだった。“今、母も自分も体調が最悪だから、帰ってきてほしくない。母は川崎さん家族が来ると無理してがんばってしまうから、帰ったあとは疲れてしまい、かえって具合が悪くなる”というようなことがくどくどと書き連ねてあった。

「読んでいるだけで、こっちが体調悪くなりそうですよね。しかも、兄からこんなメールが来たことは、母には内緒にしておいてほしいって言ってます。私が都合悪くなって帰れなくなったってことにしろってことですよね。兄の言うとおりにして、帰るのをやめるべきなのか。本当に母を疲れさせるだけなのなら、行かない方がいいのでしょうが、兄の言葉はもう信じられない。父のとき、兄の言葉を信じて結局母一人に負担をかけてしまった後悔があるから、今度はもう後悔したくないんです。そうは言っても兄のメールを無視して帰省を強行していいものかどうか、迷っています……」


 「どうしたらいいと思いますか?」と聞かれて、答えにつまった。どう答えようが、決めるのは川崎さんだ。

 人生には、正解のない分かれ道がたくさんある。行先はわからない。

最終更新:2019/05/21 15:59
『母の遺産―新聞小説』
選択の責任は自分しか負えない