「おとなのOlive」が鮮やかに描き出した、“自分の好きをみつける”「Olive」のメッセージ
「誰かにあてがわれたものって、愛おしい? 世間から差し出されたことって、面白い?『みんなが右に行くなら、左に行こうかな』」――。1982年に創刊され、2003年の休刊後もなお、“元オリーブ少女”たちに熱狂的に支持され続ける伝説のファッション・カルチャー誌「Olive」が、この春、「GINZA」の特別付録「おとなのオリーブ」として1号限りの復活を果たした。マガジンハウス創立70周年を記念した初の試みだ。独自の感性で服や日常を彩る“クリエイティブなDNA”を約20年にわたり読者たちに植え付けてきた同誌。「もし2015年にOliveがあったなら」をテーマに、一時代を築き上げたクリエイターたちが再集結した奇跡の復活号は、大反響とともにほぼ完売し、新たな伝説となった。
そんな発売から約2週間後の3月下旬。湘南T‐SITEにて「GINZA」の中島敏子編集長、スタイリストの近田まりこさん、大森伃佑子さんのトークイベントが開催された。「Olive」は80 年代と90年代でテイストが大きく変わったと言われるが、近田さんは10年以上、主に80年代を引っ張った「Olive」のゴッド・ママ。大森さんは84年から休刊にいたるまで活躍された、生き字引きのような存在だ。2人にとって同誌の復活は“いつかなうとも知れない夢”だったという。
まずは思い出に残る誌面の話題に花が咲き、近田さんは「リセエンヌには、まけないよ!」特集(86年11月3日号)を挙げた。「Olive」でお馴染みの、「リセエンヌ」(=パリの女子学生)という言葉を使い始め、丸ごと1冊、小さい取材ページにいたるまで全てパリで作った号だ。
「当時、私たちがすごく大切にしていたのは“偶然の可愛さ”でした。だからロケ先もモデルも詳細は現地で決めて、試行錯誤しながら創り上げた。事前に決めていても現場で全部ひっくり返えるなんてこと、死ぬほどあったしね。例えば、2本目のデニムを持って行くのを忘れちゃって『じゃあ、このデニムをここで切って、新しいの作っちゃおうよ!』なんてことは、しょっちゅう(笑)」と近田さん。すかさず、中島編集長が「『おとなのオリーブ』でも、近田さんはデニムをモデルの頭に巻き付けてましたもんね!」と返していた。
「Olive」はカワイイだけじゃない、アバンギャルドでパンクな創作精神が深く根付いていた雑誌だった。その理由を、大森さんはこう語る。「今と比べて80年代はモノがなかったことも大きかったと思います。可愛いブローチがないから英字新聞を切り抜いてコサージュにするとか、本気で工夫する日々でした」。