長男に拒絶された住職のさびしい晩年――北陸地方、寺を飛び出した息子に憤る檀家
「お父さんである住職との折り合いも悪かったようです。無口で頑固な方なので、順正さんが理想の仏教などについて論争を持ちかけても、まともに取り合わなかった。それで不満が募り、お寺も父親のこともすっかり嫌になったみたいです。奥さんが生きていらした間はまだ連絡もあったようなのですが、奥さんが亡くなると完全に行き来も途絶えてしまった。順正さんは、こういう田舎の寺の泥臭さが嫌で、寺の跡を継ぐのも拒んだんです。だったら、順正さんは誰のお金で大学まで出してもらったのかと聞きたいですよ。全部、私たち檀家が出したお金なんですからね」
地方では、檀家が寺に寄進する金額はかなりの額になる。寺の普請などとなると、数十万から数百万が普通だというから驚く。その挙げ句、寺の跡継ぎがいなくなったとなれば、多賀さんが憤るのも無理はない。
■住職の死後、残されていた息子からの手紙
「順正さんは寄りつかない。奥さんは亡くなる。住職の晩年はそれはかわいそうなものでした。婦人部の皆さんが、食事を届けたりはしましたが、さすがに毎日というわけにはいきません。住職としてのプライドもあったのでしょう。遠くのコンビニまで歩いてお弁当を買って帰っている姿を見かけました。だんだん袈裟が手入れされなくなったり、お経がおぼつかなくなったりして、とうとう寺のお勤めや檀家回りもできなくなりました。最後はいくつかの病院を転々として亡くなられました。それなのに順正さんは、住職の葬儀にもいらっしゃらなかったんです」
住職が亡くなった後、檀家が寺の片づけをしていたところ、息子から住職に宛てた手紙が見つかったという。
「どうも住職が順正さんに、戻ってきてほしいと手紙を出していたようでした。それに対する返事だったのですが、それは冷たいものでした。『二度と連絡をしてこないように』という言葉を見て、私たちはその手紙を読んだ住職の気持ちを思って涙が出ましたよ。親子のことだから、どんないきさつがあったのかまではわかりません。でも年を取って、頭を下げる親に対して、あの言葉はない。そんな人が寺を継がなくてよかったですよ」
住職亡き後、多賀さんたちは寺の後継者探しに奔走した。ようやく見つかったと思ったら、都会から来た奥さんが、住民に常時監視されているような寺の環境になじめず、鬱になってしまったこともあったという。どこかの高貴な家を思わせる話だ。